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ある芸人との約束

ある1冊の本から蘇る

先日、久しぶりに本棚の整理をした。
お笑い好きはもうそろそろ15年が経ちそうで、そして昔からコレクターであり読書家であり物好きな僕の本棚には、古いお笑い雑誌や劇場のパンフレット、芸人のファンブックなどが大量に出てきた。
マンスリーよしもとなんかは古いお笑い好きからしたら死ぬほど懐かしいものになっているだろうし、きっとお笑いポポロやお笑い男子校なんかを読んでいたファンは「うわぁおっさんになったな」と思いながらテレビのバラエティを見てるだろう。

自分の本棚にはそんなごちゃごちゃした大量の若手芸人が大量に載ってる本がごろごろあったわけだが、一際多かったのが、baseよしもとと5upよしもと関連の本や記事。当時通うほどお世話になった劇場であり、熱量も思い出もほかとは比べられない。
そうやって本棚を漁り昔の本を見つける度に、まだその時は幼かったが、親や祖父母、年の離れたいとこに頼んで連れていってもらったり、チケットを買ってもらったりしていたなぁなんて、劇場での思い出を振り返るいい機会になった。

「5upよしもとぴあ」

これまた懐かしい。
baseよしもとがなくなり、5upよしもとができ、応援していた若手の芸人さんたちはみんなそっちに移った。長いことお世話になったbaseよしもととの別れは寂しかったが、当時の記憶ではそんなに悲しむ暇もなくあっさりと5upに移行した気がする。メンツは鉄筋,炎上とほぼ変わらず、ただシステムがだいぶシビアになったなという感覚。人数も若干増え、以前よりも若干ピリついた、ネタを重視する雰囲気が、少し怖くて、でも嬉しくもあり面白かった。
2008年頃からbaseよしもとを見てきたから、その後劇場トップになってからずっと見てきたジャルジャル、銀シャリなどの実力者の代が劇場卒業に向かい、今で言う(当時もあったが)かま天マーケットやアキナ牛シュタインの代が煌トップになってきた時、1冊のファンブックが出版された。

それがこの「5upよしもとぴあ」。

ほぼ写真付き紹介名簿兼卒アルで、当時は若手しかのってないから、お笑い好きじゃない人から見たら「その本いる?」という感じだっただろう。実際、そう言われた。まぁ芸人雑誌買ってるやつだから、買うよそりゃ。でも周りから見ればいらんやろな。
今見たら相当価値のあるすごいメンバーの卒アルである。1ページめくる事に「えぇ!」ってなると思う。当時「いらん」とか言ってた人に見せてあげたいくらいだ。

そんな大切な本をよく劇場に持ち歩いては、名前を覚えるために、暗記ノートのような使い方をしていた。もちろん、ほとんど知っていても、子供だった僕にはちょっとまだ顔と名前を完全に一致させて、大体の情報を入れておくには、脳みそが小さかったので、今とは別の意味でとても大事な本だった。

断る理由

ある日、劇場に足を運ぶと、劇場近くである芸人さんを見かけた。大阪の難波千日前は当時から吉本街で、劇場の出待ちや手売りの待ち合わせをしなくとも街中で芸人さんに会うことはざらだった。
不思議なもんで、芸人という特殊な職業の人はたとえメディア露出が多いとは言えない若手であれ、何となく雰囲気やオーラがある。パッと見かけて、一瞬で「あ、あれは芸人さんだ」と分かった。劇場で見ていたから、誰かもわかってはいたが、間違えてはいけないという思いと、こういう時こそ(お笑いファンであるアピールに)活用しようという思いで、とっさにかばんの中にある本を取り、その芸人さんのページを開いた。

うんうん。絶対そうだ!

街で芸能人を見かけた時のこの確信はなかなか嬉しい。間違うことはないという自信から子供らしく無邪気に何も考えずに近寄ったものの、向こうに気づかれた時に思った。

あ、どうしよう

今まで声をかけるとかはある程度話すことを準備したり、サインお願いしたり、それこそ親に話すことを考えてもらってたりしたから、恥ずかしがりながらも話すことが出来たが、何も考えずに一人で近寄ったら頭真っ白。
今日はあいにく普段は持っているサイン色紙も持っていない。
どうしよう。

「見てます!面白いです!頑張ってください!」

小学生みたいな。
小学生だったけど。
自分もいいながら、もっとあっただろと思った。

「ありがとう!」
と素敵な笑顔と綺麗な関西弁で返されて、その浪速の空気にやっぱり芸人さんはかっこいいなぁと少し見惚れた。

そして、サインどうしよう。

して欲しい。もじもじしてると少し後ろにいる親から小声で「サインは?してもらったら?」と言われた。
うん、して欲しいけど、けど、してもらうものは持っていない。すると後ろの親の声が聞こえたのか

「サイン?するものある?……それは?」
持ってる本を指した。

あ、よしもとぴあか!

この人天才かなと思った。
小学生による小学生みたいな感想。

ただ小学生は考えた。

この本は、芸人図鑑みたいにちゃんと読んでるからサインしてもらったところが読めなくなったらどうしよう…しかもたくさんの芸人さんが載ってるから、1人にサインしてもらったら、この人の相方さんにもサインしてもらわないとだし、そしたら仲良しのあの芸人さんにもサインもらって、その相方さん達と、あとあと…そうやって貰っていったら最後まで集められるかわからないし、最後の芸人さんは「ぼくが最後なんだ」って悲しむかもしれないな…それは嫌だな…気まずいし…

なんて、訳の分からないことを考えた。

1人からサインを貰ったからって集めなくちゃいけないスタンプラリーみたいな制度はないし、例え貯めていけたとして順番が最後になった芸人さんも別にそんな悲しいこととは思わないだろう。なのに、小学生の想像力は無駄に豊かで、ここに来るまでに通った駅の地下で、ポケモンのスタンプラリーをやっていたことを思い出して、そんなことを一瞬にして妄想したのであった。
でも、そんなことをこの目の前の笑顔で手を伸ばすお兄さんには言えないし。
そんな葛藤を心の中でしながら、頭をフル回転させ、何かいい方法を導き出…

「でも!こどもだからってサインをもらうのは、ちがうファンのみんながかわいそうだから、大丈夫です!」

おいおいおい、何を言うてるんだ僕は。強がりなマセガキめ。今も思う。

まぁ実際当時、ファンが集まるような人気の芸人さんに対して、親が子供の背中を押してサインを貰わせるみたいなのがあって、子供だからって断れないという心理のすきをついてずるいと言われていた。自分は、親がお笑い好きなわけではなく、本当にガキ自身がお笑いファンで、親の方が付き添いみたいな感じだったのだが。だからこれも、ガキの使いではあらへんで。それでもやはり、芸人さんが優しく話してくれたり何かプレゼントしてくれたりすると、後ろの方で「子供行かすとかなんかなぁ…」「ええなぁ…ちっさい子は」と言われてたのを子供ながらに聞いていた。

それをまた変な連想力で、咄嗟に口実にしたのだろう。本当は、ぴあにはサインしてもらうつもりがなかっただけ。
でも変な理由つけたら、すごいませた理由になってしまった。
持っていたよしもとぴあをぎゅっと腕でしめたのが見えたのか、その芸人さんは瞬時に察してくれた。

「そっかー。じゃあ大人になったらおいで。好きな本にサインするよ。」

「ほんと?ありがとう!ずっとがんばってください!」

「約束なー!」

もう少し長く話してたかもしれない。軽く指切りをしていたような気がする。本1冊で思い出せる記憶は、そんなにはっきりはしていないようで、当時の気持ちだけがぶわっと蘇った。

もう無効?

よくよく考えたら、いい話じゃね?
約束なんて大層なテーマで書いたが、きっととっくに無効な約束だ。そもそも有効じゃなかったかもしれない。きっと向こうは憶えていないだろう。こんな前の小さな約束なんて。
劇場で大勢の若手に混ざっていた彼は、今やテレビのレギュラーや東京大阪の劇場を駆け回ってる大人気の売れっ子だ。漫才やひな壇の仕事だけでなく、幅広く活動している。MC、ラジオ、情報番組、料理番組、雑誌、俳優、MV出演、執筆…。同じように、baseよしもとや5upよしもとの仲間も、今のバラエティ界で活躍していて、お互いに切磋琢磨しているようで、これだからお笑いファンはやめられない。もちろん自分のお笑いファンは今だ健在で、若干の古参を貫き通している。


彼の神対応を受けたマセガキは、そろそろ大人と呼んでもいいくらいにはなったのかもしれない。

先日、手元に彼のサイン本が届いた。
一歩ずつ、一歩ずつ、記憶を辿るのも面白い。


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