循環
先日。電車の中での出来事。
日中暑かったせいか疲れていた。
乗車して、向こう側のドア近くにふと空席を見つけ、誰も座りそうもないので少しホッとして近づくと、
その横のシートの端に座る男性と目が合う。
私は何かしたのか?くらいの違和感を感じながらもその男性の横に腰を下ろした。
しばらくすると、右隣に体の大きな男性がいることに気づく。
その男性がしゃっくりのような声をあげた。
「酔っ払いかも。ちょっと失敗したかな」
そんなことを思いながら、かと言ってすぐに立ったり移動したりするのもどうかとの気持ちを天秤にかけ、グラグラしながら、結局疲れには勝てず座り続けた。
一定時間をおいて、右隣の男性がまた声をあげた。
ドア側の端の男性が小さな声で、だが明らかに苛立つ声で呟いた。
「うるせーなー」
その後も私の右側にいる大きな体の男性はしゃっくりのような声をあげた。
顔も見ていないし、体の大きな黒い服に覆われた人が大きな声をあげる印象に、少し怖さを感じないわけでもなかった。
遠くの方から「うるせーなー。やめろ。」という声が耳に入った。
きっと彼の耳にも届いているはずだ。
横を向くことはできないが、私の横の彼は、反論することもなくその言葉を全身で受け止めているように思えた。なんだかとてもいたたまれない気持ちになった。
急行停車駅に着くと、人がたくさん降り、向かいのシートが空いたので、自然とそちらへと移動した時に、先ほどまで私の横にいた「声の彼」とパッと目が合った。
何かを悟った様なその目は、怖くはなかった。
同時に、その頃になると私の頭もだんだんと色々な事を想像出来るようになって…
ひょっとしたら彼は病気で、自分ではどうしようもなく体が反応してしまう。
そして、それを知ろうともしない人たちからの刺さるような言葉を、今まで何度も何度も、やり過ごしてきたのではないだろうか。
私の息子は一時、ヘルプマークを携え学生生活を送った。
SNSなど、情報を発信し、理解を広め、仲間を作れる場所が増えた世の中ではあるけれど、
まだまだ自分本位な、やさしくなれない人たちの多いことよ。
ぐっと言葉を飲み込んだその先に、
目が覚める様な、知らない世界もあるかもしれないのに。
私と同じ駅で降りた彼の足取りは
急ぐでもなく、ゆっくりと、しっかりと、
自分の目的地へと向かっていった。
それから何日かしただろうか。
朝からとにかく暑い猛暑予報の日。
うだるような職場で汗だくになって働いて、やっっと帰宅。
「もうひとふんばりして、伸びた庭木の調整と水やりをしちゃおうかな」
独り言を言って自分に気合を入れながら庭仕事をしていると、通りすがりのご老人が話しかけてきた。
植木の話や、家庭菜園の話、
近くのお店が閉店した話。
手を止めて少しの時間話をした。
「じゃ!また」ご老人が去った後、
さあ!ゴミを集めて残りの仕事を終わらせよう
と思ったその時に、
「坂の上の携帯ショップまで車を運転してくれないか。どうにも坂がキツくって」と、
お隣の一人暮らしのご主人が声をかけてきた。
父より2つ年上の85歳。
奥さんが亡くなった後、1人で暮らしている。
娘さんも妹さんも近くにはいて、ちょくちょく様子は見にきている様だが、急な用事だったのだろうか、お願いを申し出てきた。
汗だくで、葉っぱが腕や頭についたまま、
剪定した枝は散らかり、ホースは伸びたまんまの状態で、運転をした。
サンダルだったので、裸足で。
なんせ、鞄を斜め掛けして、もう行くばっかりの
お隣のご主人がそこにいるのだから。
「え?なんで?」とか「いまなの?」とか
自分に起きる事が可笑しくなってくるが、
袖擦り合うも他生の縁。
20年ほど前に家を購入し、
偶然お隣さんになった家の息子さんは
主人が教育実習で教えた
いわゆる後輩だった。
巡り合わせだなと思う。
日常目にする出来事や
自分にできる思いやる事は
父や息子や娘や嫁や孫や
自分が大切に思う人たちが
誰かのやさしさに救われたらいいな、
そんな願いと希望の
やさしさの循環と思っている。
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