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ベトナム旅行記④

こちらの続き。

5日目 8/7

今日はツアーで頼んだ1日フエ観光。

朝6:45集合なのに、朝食の時間は6:30開始なので急ぎでごはんかきこむ。

行きは列車に乗ってフエまで。
ダナン駅に向かう道中でニワトリのドナドナを目撃。

ダナン駅の前は列車が展示されておりました。

ダナン駅
ダナン駅内の鉢植え。
ベトナムはこういう大きな鉢植えをよく見かける。

共産党っぽいポスターも駅前にあって味わい深い。
ベトナムはこういうポスターがけっこう街中のあちこちにある。

電車へは線路からそのまま乗車。

販売店車両もあってベトナムミルクコーヒーとオレンジジュースとココナッツまんじゅうを注文。

ジュースとコーヒーに氷を入れてくれるんだけど。。普通にジュースの瓶を突っ込んで冷やしている氷たちをそのままカップに入れて提供されるというワイルドスタイル。
これは後でお腹壊すか?と思いつつ、ベトナム来てからずっとお腹くだしてるのであまり変わらないかと腹をくくって普通に飲む。

ダナン駅からフエ駅までは3時間くらい。車窓も楽しい。

途中ガイドさんからベトナムの歴史の話を聞いた。
歴史好きだけど知らないことたくさんあって、特に印象的だったのがこれ。

  • ベトナムの成り立ち

    • 元祖ベトナムは北部のハノイ周辺。南部は元々チャンパ王国があったけど、大越国に滅ぼされた。もっと南方は明滅亡時にフエに逃げてきた軍人達が、南部に追いやられたところその地を開拓してベトナムの一部となった。

  • 1945年から30年くらいずっと戦争があった

    • 日本のイメージだと、南北戦争とベトナム戦争は分けて捉えてるけどベトナムではまとめて長い戦争という認識

  • 一番辛かったのは1942年から1945年の日本に占領されている間

    • 米を作れなくてジュートを作らされて食糧危機に陥り2000万人ほど餓死した

    • ガイドさんはジュートのことを「何かの草」と表現してた。日本人によくわからん草を作らされてごはん作れなくてたくさん死ぬはめになった、という認識らしい。他にもベトナムの財産をたくさん日本に巻き上げられてしまったとのこと。

私の貧弱な知識では、ベトナムで一番つらい時期はアメリカに色々されたベトナム戦争だという認識だったけど、まさか戦時下の日本が最もつらい目に合わせていたとは。。
戦時下の日本が東南アジアでひどいことをたくさんしていたのは概念的に知っていたけど具体的なことは全然知らないということを改めて思い知る。

日本の過去の負の歴史を正確に認識したいと思うものの、私が過去受けてきた歴史教育や日々何気なく目にする情報には日本軍侵略の内容をあまり知る機会がない。
「日本軍がひどいことをした」という情報については右翼系の人たちが「それは事実ではない」と捻じ曲げてネットで声高に叫んだりもしているのをちらりと見かけても、それに問題意識をもつこともなかった。
悪事を受けた当事者の国はいつまでも覚えているのに、当の日本人である私は何も知らないなんて、その認識の差が何だかとても申し訳なく、恥ずかしく思う。。
自国が過去にしでかした悪事はしっかり認識しておくべき。

フエ駅到着。

ここからティエンムー寺へ。
漢字が至るところにあって、ベトナムも漢字文化圏のうちの1つというのがよく分かる。

ティエンムー寺にはティック・クアン・ドックという僧侶に関係する青い車も展示されてた。

南ベトナムで仏教弾圧に対する抗議として、この僧侶が焼身自殺した有名な事件の際に、彼をフエからサイゴンまで送り届けたというその車らしい。
焼かれてもなお蓮華座を崩さない衝撃的な写真もたあった。
遺体を再度火葬したときに心臓が焼けずに残ったと言われているらしい。

お次は雰囲気のある建物でフエ料理。
内装はすごくきれいなんだけど、屋根がめちゃ壊れていて修理中なのがアンバランス。

いちじくと何かのひき肉入りの温かいサラダと、柔らかくて生っぽい餅のおかず2つに、牛肉のフォー。最後はフルーツ。
これくらいの量がちょうどよい。

不思議なもちもちとした食べ物
おいしかった
毛の生えたフルーツ・ランブータンは胃腸に良いらしい

ランチ後はグエン朝宮殿跡へ。

外壁と外壁に囲まれた広い宮殿跡。
通常、中国と日本の王宮は東西南北に対した四面がそれぞれ向いてるのに、ベトナムの王宮は東西南北に対して四面が斜めになっている。
中国側からそのまま真っ直ぐに攻められたくないからとのこと。
でも向きを変えればいいだけの話だよねえ。

立派な門から入る。

フランスに侵略されたときにできた銃痕がそのまま。
とてもたくさんの人が亡くなったらしい。
日本も一歩間違えていたら侵略されていたと思うと本当に恐ろしい・・

ベトナムでは奇数が縁起が良いとのことで、植えられている木の本数も奇数が多い。

昔の写真もたくさん飾られていた。

ただ、とーっても暑くてクラクラする。
子どもたちはここで暑さにやられてしまってこの後の帝廟はろくに見れず。

お次はトゥドゥック帝廟。

グエン朝で最も長く在位したという王様。
後宮に妃が何百人もいたのに、1人も子どもができなかったらしい。
墓は立派といえば立派だけど、外に剥き出しになっているシンプルなお墓。

最後はカイディン帝廟。
階段を登ったところにある。

11年かけて、税金も20%か30%くらい上げて作っただけある立派な帝廟。
まだそこまで古くないので絵ではなくて写真が飾られているのが印象的だった。

壁画もいろんな材料が使われていて、日本語が書いてある瓶が再利用されていたのがおもろい。

茶色のガラスに日本語のカタカナが

帰りは電車ではなく車で帰路へ。

途中、エンジンの調子が悪いのか、運転手さんが高速道路の真ん中で車を停めてボンネット開けながら電話し始めたときは焦った。。
ガイドさん爆睡してて状況もよく分からないし、そのまま運転再開してるし。
坂道でスピードが出ないゆっくり運転でなんとかダナンへ到着。
あのまま運転続行してしまうのがベトナム流儀なのかしら。

ダナンの有名な橋 ドラゴンブリッジ

帰りも遅くなってしまい疲れたので晩御飯はホテルで済ませて早めに就寝。

次回へ続く。


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