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SINGER~シンガー~【前編】

小さい頃から歌うことで、心を慰めてきた。
私の魂は、歌うことに位置づけられている。

そう、あの時で人生が決まった。

子守唄が優しく聴こえる。母の歌う子守唄。抱かれたその腕の中でスヤスヤと眠る私は、お腹の中にいた時と同じように安心していた。
しかし、いつの頃からかその母の子守唄は消え、違う腕の中で眠るようになった。
私に何が起きているのか、知る由もない。

物心つくようになって、学校の音楽の授業でその子守唄を聴いた。
とても懐かしい気持ちになって、授業中泣いてしまったほどだ。私の耳で聴いた記憶はほぼ、覚えている。
人が歌ったり、話したりするトーンで気持ちも分かる。メロディーの抑揚と同じように聴こえるのだ。
人の喜びよりも、悲しみや苦しみの方が胸に響く。人生、生きていく上で辛いことの方が多いからかもしれない。

17歳の時だった。
ある雑誌の片隅に歌のオーデションの記事が載っていた。
私は、心を鷲掴みされたような気持ちになり、『これだ!』とその記事に一点集中した。受けてみたいという気持ちがはやり、何かに追い立てられるかのようにオーディションに応募していた。
一次書類選考 突破
二次デモ審査 合格
三次予選会場での歌唱審査 合格
最終選考にまで残った…

最終選考はテレビで生放送される。総勢12人。応募総数10,000人の中から選び抜かれた強者たちだ。
私の選んだ曲は、『モーツァルトの子守唄』 赤ちゃんの時に聴いた子守唄を歌う。絶対これを歌うと決めていた。
張り詰めた緊張の中、優しく穏やかなイントロが流れる。思いを込めて歌う。私の原点となる歌。

すると、審査員席にいる女性が泣いている。はっきりと私の視界に入った。私の歌に聴き入ってくれているとは、なんとも嬉しい。
私はだんだん曲の世界に入り込んで、自分が赤ちゃんの時に聴いていたその子守唄の面影を追っていた。私の唯一の心のよりどころである子守唄。

12人全員の歌が終わり、結果を待つのみとなった。
暗闇の中、ドラムロールが鳴り響く。私は目をつぶり、心臓の脈打つ音が全身を支配する。
そして司会者が名前を発表した瞬間、スポットライトが私に当たった。眩しい光の中に私はいた。
結果は見事に優勝。
私は晴れて大手プロダクションと契約交渉ができることとなった。

オーディション終了後、控え室に戻る途中の廊下で、さっき私の歌を聴いて泣いていた審査員の女性が声をかけてきた。

「優勝おめでとうございます。あの、すみません…その歌はどこで覚えたのですか?」

「あ、ありがとうございます。この歌を聴いたのは赤ちゃんの時だと思います。多分、お母さんに抱っこされながら聴いた記憶があります。小学校の音楽の時間でこの歌を聴いた時、涙が出ました。それで覚えたんです。
私にとって思い入れの歌というか、一番好きな歌なんです」

「そう…そうなのね…失礼ですけど、あなたの生年月日はいつかしら?」

「えっと、1983年6月9日ですけど…」

審査員の女性の顔色が変わった。

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