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「もうあかん」ときにはこの本にもどろう

「もうあかん人」ほど読んでほしい。

岸田奈美さんの『もうあかんわ日記』を読んで、そう思った。


10月13日、誕生日。

これまでわたしは奇跡的な生還を2度していたので、この日は生き延びたことを大いに感謝する日でもあった。

友達から、たくさんお祝いのLINE通知をピコピコいただくなか一本の電話。

近所の元気で明るくて美人の友人が、朝早く病で亡くなったと…。

凸凹な生還者が誕生日を迎え、その生還劇を聞いて「とにかく生きてくれていて良かったぁ」と泣いてくれた友が突然亡くなる虚しさ。

みるみる身体の力が抜けていった。


そんなときに限って、ふだんはヒマなのにやたら忙しい。
泣いては仕事し、仕事しては泣く。気力を振り絞っていた。ふだんはしないようなミスもしでかした。そしてとうとう、ご飯がのどを通らなくなった。


もうあかんわ。


そんなときに本を手にとった。


岸田奈美さんの文章は、我が家では有名だった。
それはわたしがnoteで面白いからと、「奈美さんがねっ」とまるで友達になったかのように語っていたから。
しかも奈美さんの日常は、考えられないほどのアクシデントのオンパレード。

…なのだけれど「まるで『さとピンチ』やんか」と夫と息子にいわれるほど親近感を覚えるもので。

『さとピンチ』とは、夫がみるみる白髪になり息子がどんどん肩を落として猫背になるほどのわたしのピンチのこと。名前を文字っている。


なかでもとくに我が家で話題になったのは、「鳩との死闘」

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兵庫県の素敵な住宅街でひとり暮らしをしていたころ、うちのベランダに鳩が巣を作った。

「毎日クルックー、クルックーと起こしにきちゃうんだよ。」
「俺が近かったら、退治してやったりすることもできるんだけれどな。これはピンチやな。」

当時遠距離でつき合っていた夫に、日常でありえないだろう悩みを相談した。そのできごとを奈美さんの日記で思いだした。

「ありえない!こともなかったか」と大笑い。13日以来久しぶりに笑った。

またこんなこともあった。

「そんなこといったって、出会いはやめられないとまらない、かっぱえびせん」
『もうあかんわ日記』より

この文章を読む直前、まさに息子とかっぱえびせんを頬ばっていた。
すごくないか?! ねぇ、すごいよね!!
あまりのシンクロに、息子と大笑いした。

こうして、わたしの立ち直れそうになかった「もうあかん」日常がちょっとずつ癒されていくようだった。

岸田奈美さんの文章には、いい意味でタブーがない。
そして必ず笑いに昇華できる希望がある。

わたしはこれまでの人生で、数々のありえない『事件』があった。
それは家族や他人から見るととんでもないことで、「よくもまぁ、そんなことが次々と起こるよな」と呆れられてきた。
ひとに語るなんて、とんでもないと思っていた。

奈美さんの場合は、どんな「もうあかんわ」でも文章になる。チャーミングでユーモアがあるから、ドキドキしつつもわたしは期待してしまう。

そうか、こういうことって声にだして言ってもいいんだ!文章に書いたっていいんだ!そうすれば「たちまち過去になる」って、奈美さんもおっしゃっているもんね。

笑えるまでは時間がかかる「生と死」のことにも触れられている。それをnoteで読んだときに泣いた。
本になった『もうあかんわ日記』をまたこの瞬間に読んで泣いた。いろんなことが一気に押し寄せて。

生きるって大変だ。

その果てに、「もうあかん」が底なら、ひたすらあがるしかないという思いに行きつく。


書けないこと、書きつくせないことがたくさんあったと思う。
泣きながら日記に向かい、奈美さんは情景を伝えてくれていた。そのままストレートに。
不謹慎なのかもしれないが、絶叫するジェットコースターに乗ったけれどまた乗りたくなるような不思議な爽快感を味わっていた。
押しこめていた感情を代弁してくれたような気持ちになった。

だからこそ亡くなった友人にも、家族にもこれからゲラゲラ笑ってもらえるように生きたいし語りたい。そんな風に心から思えた本だった。

また「もうあかん」ときも調子いいときも、この本に戻ろう。

わたしは救われました。すごく泣いてすごく笑いました。
ありがとう、岸田奈美さん。


#読書の秋2021

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