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プログレッシヴ・ロックの"真の"入門バンドとしてのEmerson, Lake and Palmer

プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルがある。

以前の記事でもまとめた通り、あまりに多様過ぎるがゆえに複雑で、説明しようにも骨の折れるジャンルだ。

そんな中で、音楽性とエンタメ性を奇跡的に両立したグループがごく少数だけ存在する。

Emerson, Lake and Palmer (ELP)は、

  1. 多くの人が(ほぼ無意識的に)親しみを持つクラシック音楽のロックアレンジ

  2. オルガン揺らし等に代表される視覚的に分かりやすいライブパフォーマンス

以上の2点を得意とする、ある意味では究極のプログレッシヴ・ロック・バンドと言えるのではないだろうか。


そもそもEmerson, Lake and Palmerとは

1970年にキース・エマーソン(Keith Emerson)グレッグ・レイク(Greg Lake)カール・パーマー(Carl Palmer)の3人で結成されたELPは、アメリカで9つのゴールドディスク認定を受け、推定4800万枚のアルバム総売り上げを記録した、まさに時代を代表するグループの一つである。

メンバー各々が若手ながら既に別のグループで音楽キャリアを積んでおり、ある程度の知名度を得ていたことから"スーパーグループ"と呼ばれ、また専任のギタリストがおらず、代わりにキーボードをリード楽器としてフィーチャーする"キーボード・トリオ"のパイオニアとしても知られている。

今回焦点を当てたいのはバンドの歴史ではなく飽くまで音楽性とエンタメ性の二点のみであるため、グループや各メンバーの詳細な解説については割愛する。ただ、70年代に商業的に大きな成功を収めたことと、キーボード主導のロック音楽の可能性を提示したことだけは最低限押さえておきたい。

ELPの音楽性: クラシック音楽が持つ"親しみやすさ"という最大の武器

ELPの代表作の一つに"Pictures at an Exhibition"という楽曲がある。『展覧会の絵』の邦題で知られるこの組曲は、ロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーが1874年に作曲した同名のピアノ組曲のロックアレンジ版だ。また、冒頭でリンクを貼った"Nut Rocker"も、アレンジはアメリカのB. Bumble and the Stingersというグループが1962年にシングルとしてリリースしたものに基づいているが、原曲はロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーが手掛けた1892年初演のバレエ組曲『くるみ割り人形』からの引用である。

どちらのメロディも、現在に至るまで世界中の様々な場面で引用される馴染み深いものであり、そこには"プログレ"のネガティブなイメージである取っつきにくさ・敷居の高さは感じられない。

加えてクラシック音楽という伝統の権化とも言うべき音楽を、当時としては最も革新的なロック音楽の手法で再解釈を行う姿勢は、"progressiveness"の最も分かりやすい一例と言えるだろう。日本語で"ロック"という単語を形容詞的に使う場合も、ロックが革新的な音楽ではなくなった現代においてさえ、そこには既存の概念や価値観を打ち壊すようなニュアンスが多分に含まれているものだが、その点からもELPはまさにプログレッシヴ・"ロック"・バンドだったと言えるのではないだろうか。

ELPのエンタメ性: 観客を"魅せる"ことにこだわり続けたパフォーマー精神

冒頭の2つ目の動画において、エマーソンはオルガンを揺らす、スイッチ類のオン/オフを繰り返してピッチを不安定にさせる、オルガンを逆側から弾くなどの激しいプレイスタイルを見せている。他にも(公式と思われるビデオがないのでリンクは紹介しないが)オルガンの鍵盤にナイフを突き刺し音を鳴りっぱなしにする、更には1972年の来日公演において日本刀(※模造刀説もある)を突き刺すなどといった常軌を逸したパフォーマンスをも行っていた。しかし、これらの"奇行"は決して衝動的なものではなく、ライブを盛り上げるために必要なことだったと彼は語っていたという。

あらゆるアーティストは、自らの表現を追求するか、または大衆の求めるものを生み出すかの間で常に揺れ動きながら創作を続けていくものだ。とりわけプログレッシヴ・ロックというジャンルにおいては、当然ながら実験精神に富んだグループが多く、ファンが求めるものを無視して我が道を行くことも珍しくない。

その中で、ELPは独自の音楽性を保持しつつ、ライブでは派手なパフォーマンスという形でファンを喜ばせる手法を取った。単なる偶然だったのかもしれないが、結果的にその二点の両立が彼らをプログ界の特異点たる存在にしたのだ。

ただし、全てが成功したわけではない。1977-78年のツアーではオーケストラを帯同させる予定が予算不足などの理由で早い段階で破綻し、その後リリースされた70年代最後のアルバム"Love Beach"もレコード会社との契約消化のため制作したに過ぎないことをバンド側が認めている。セールス面でも失敗に終わり、彼らの時代はここで一度終焉を迎えたのである。

終章: ELPが残した"大いなる遺産"とその継承

80年代に活動するも短命に終わった派生バンドや、90年代の再結成時の作品を含めると、ELPが残した主要作は12作。そして2024年4月時点で、これらの遺産の価値を後世に伝えられる人物はカール・パーマーただ一人だ。

エマーソンは80年代以降は映画のサウンドトラックなどを手掛けた他、往年の勇姿を彷彿とさせるステージ上でのパフォーマンスも可能な限り続けたが、1993年から右手の神経痛が悪化し、完治までに10年近くの治療を要した。その後も思い通りの演奏ができない不安が拭えず、2016年3月11日、悲しくも自宅で自ら命を絶った。またレイクも同年の12月に癌との闘病の末亡くなっている。

パーマーは2000年代から自らのバンドを組み、現在でもELPのセルフトリビュートツアーを精力的に行っている。

クラシックとロックの関係に限らず、既存の音楽の大胆な別アレンジは現代でも多く存在するが、パフォーマンスの一環として楽器を痛めつけ、刃物まで持ち出すという行為は当時ならではと言う他ない。ELPは現代にはまさに存在し得ないのだ。

今でも世界中のプログ・ファンが彼らの音楽を聴き、在りし日の映像を見て、その時代に思いを馳せている。『展覧会の絵』や『くるみ割り人形』のテーマが街のどこかから流れてくる限り、世界最高のキーボード・トリオの存在が忘れられることはないだろう。

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