見出し画像

スワミジカレンダー 14【イーシュワラ⑥】

「神だけがある。全ては神から離れた別のものではない」は理解であって、うのみにして信じなければならない話題ではありません。

もし全てがイーシュワラであれば信じる話題は何もありません。
理解の保留状態ですから、あなたは「それはどういうものかを知りたい」と言うことだけができます。
あなたはそれを無視することすらできません。
それが本当ではないと証明できた時にだけ、あなたはそれを無視することができます。
本当ではないと証明するために、あなたは探求し理解しなければなりません。
ここにある全てがイーシュワラだと言うのは等式です。
等式と言うのは信仰や信念の話題ではありません。
35+65=100は等式です。
あなたは「この等式を信じます」とは言えません。
これは理解の話題です。
ですから、私たちが言う、神、つまり、イーシュワラとはどこかの国の何かの宗教に属するものではありません。
知識は全世界普遍です。


等式は信じる話題ではなく理解する話題

「あなたは100ー90は10だと言うけれど、私はそう信じていません」
ということになれば、買い物でお釣りをもらう度に喧嘩になってしまいます。
等式は信じる話題でなく、理解によって当たり前の見方となります。

ヴェーダの言う神、イーシュワラは、「どこかにいて、外側からこの世界を作った人」ではなく、「この世界を現している知識そのもの」「世界として現れているそのもの」です。
神の定義が「全知全能であること」であるならば、神でない物や場所はあり得ません。
もしも神でない物や場所があるのなら、神は限られた能力の存在ということになります。
世界は物が知的に組み合わさった見事な作品であり、作品が現れたところには必ず作品を現した知識があります。
作者とはその知識のことであり、知識が神です。

このことは、「本当にそうか」を考えによって確かめ尽くすべき話題であって、「そういうものだ」と鵜呑みにして信じる話題ではありません。

ヴェーダの言うことは、「イーシュワラという名前の神がいます。信じなさい」ではなく、「この世界とは一人の全知の人が、自らを材料として、自らの知識によって、自ら現れた姿です。その全知の人をイーシュワラと呼びます。それがどういうものなのか、知性によって知り遂げなさい」ということです。
たまたまインドという地域に、ヴェーダという形で教えが残っているだけで、コンピュータやインターネットの知識などと同じように、全世界普遍に理解され得る知識です。

ガリレオ以前の人々は、太陽が地球の周りを回っていると考えていました。
日常の体験レベルでは、私たちも当時の人々も同じように、「太陽が昇る」ように見えていますが、科学の知識によって、本当は地球が自転しているのでまるで太陽が昇るように見えることを私たちは知っています。
日常の体験は変わりませんが、知識によって本当のことが知られています。

太陽が昇っているのだとしたら、それとは矛盾する事実が発見されたので、本当は地球の方が動いているらしいということが事実として受け入れられました。
ある見方が本当であると理解されるためには、私たちの日常の体験と矛盾していない必要があります。
ヴェーダの教えるイーシュワラやダルマ、カルマの法則といった話題も、自分自身の体験と照らし合わせて矛盾がないことを確認していくことが大切だと言われます。
「どうやらそれが本当らしい」と理解された後には、「1+1=2」や「地球は太陽の周りを回っている」と同じように自然な見方として受け入れられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?