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第7回 なぜ「佐宮圭」になったのか

 友人からのアドバイスを受けて調べてみると、当時、未発表原稿で応募するノンフィクションの賞が主に2つありました。
 それぞれの過去の受賞作をチェックすると、鶴田錦史の伝記には、集英社の「開高健ノンフィクション賞」よりも小学館の「小学館ノンフィクション大賞」の方が合っている気がしました。

 早速、最終的な書き直しに取り組み、完成したのは2010年3月末日の応募締切(当日消印有効)前日でした。

 私の本名の姓はちょっと珍しいものだったので、小さい頃から名前で呼ばれ、ニックネームや呼び名をつけられたことがありません。ですから、ペンネームに憧れていました。
 しかし、ライターとして初めての記事を書くとき、先輩ライターから言われました。
「ペンネームはつけるな。おまえの本名は珍しいから、間違えたことを書いた時、すぐ本人特定され、批判に晒される。それが怖くて1本1本の記事に対する真剣さや責任感が強くなる」
 あえて個人的なリスクを抱えることで、プロ・ライターとしての自覚を持てという助言でした。

 結局、ライター業は本名で続けたので、当時すでに、もう十分、記事に対して責任を取る意識も覚悟も身についていました。
 ですので、初めての本の著者として、今度こそペンネームをつけることにしました。

 本名ではなくペンネームで応募したかった理由は、もう1つあります。
 これといった宗教も思想も持たない私ですが、昔から名前の字画は気にしていました。

 私の本名の字画を姓名判断すると、必ず「大器晩成」という結果が出ました。
 しかし「晩成」では受賞できないので、懸命に調べた結果、姓の1文字の字画を1画増やせば、かなり良い運勢になることがわったのです。

 私の記念すべき人生初のペンネームは、姓の1字を1画増やして「佐◎圭」と決めました。

 応募締切(当日消印有効)当日、必要書類の項目をチェックし直して、原稿を封に入れ、郵便局に出かけようとしたとき、ふと思いました。

〈もし、『佐◎圭』という名前の有名人や犯罪者なんかがいたら、ヤバいんじゃない?〉

 慌てて「佐◎圭」を検索してみました。
 すると、ビキニ姿の女の子がタワワな胸を寄せて上目遣いにこちらを見つめる写真とともに「佐◎圭でぇ〜す。ヨロシクね♡」というメッセージ付きの記事が多数ヒットしました。

 私はすぐさま漢字辞典をめくり、「◎」と同じ画数の漢字をリストアップしました。その中で一番縁起の良さそうな字が「宮」でした。

 検索してみると、「佐宮圭」も「佐宮」も出てきませんでした。
「これでいいや!」
 私はペンネームを「佐宮圭」に書き替えると、慌てて郵便局に向かいました。

 なので、中間発表で数本の候補作に残ったことを知ったときも、ペンネームはあまり意識しませんでした。ほかの候補作が誰のどんな作品かは知らされませんでした。

 2010年7月23日、最終選考会。受賞者には決まり次第、電話で知らされる段取りでした。
 横浜で取材を終え、駅の地下街の本屋で取材対象者の資料本を探していたとき、ケイタイが鳴りました。

「小学館ノンフィクション大賞の担当の者ですが……」
 地下にいたので、電波の入りが悪く、途切れ途切れの聞き取りにくさはありましたが、私は思わず破顔し、胸のうちで快哉を叫びました。
 その夜に電話で連絡を受けるのは、受賞者だけと聞いていたからです。

 しかし、私の笑顔は彼女の次の言葉で凍りつきます。
「ソニヤ様でいらっしゃいますか?」

 えっ……誰、それ?

「いいえ」と言って、私は本名を告げました。
「あの、小学館ノンフィクション大賞に応募されたソニヤ様ではありませんか」
〈このひと、ほかの候補者の番号と間違えたんだ!〉

 前の年の9月、シリン・ネザマフィという女性の日本語で書いた恋愛小説が『文學界』の新人賞に選ばれていました。シリン氏は前年に続き、その年の芥川賞候補となり、話題をさらっていました。長年、冷や水を飲まされ続けて来た私は、ひがみ根性から、つい勘ぐって、
〈きっと「シリン氏に続け!」とばかりに、ソニアなんとかっていう期待の候補者がいて、その人に受賞を知らせるつもりで、間違えて電話して来たんだ〉

 私が不機嫌な口調で「これはソニアさんのケイタイではありません。何番におかけですか?」と尋ねると、相手はとてもかしこまった口調で、
「申し訳ございません。このペンネームは『さみや』様とお読みするのではないのでしょうか」

〈さみや?……あっ、「佐宮」は「さみや」って読むのか!〉

 私はいきなり声のトーンをあげ、丁寧な口調で、
「はい、『さみや』です。私が佐宮圭です。何か、ご用でしょうか」
 相手はほっとした様子で、優秀賞に選ばれたことを告げました。

 取材開始から10年目、やっと出版の目処が立った瞬間でした。
 しかし、実際に出版されるまでには、あと1年数か月を要することになります。

 第17回小学館ノンフィクション大賞の応募総数411編の中から、大賞の該当作品はなしで、佐宮圭の「鶴田錦史伝」とほか1作が優秀賞に選ばれ、それぞれに賞金100万円が授与されました。

 贈賞式は8月30日午後6時半、東京・丸の内の東京會舘で行われました。
 東京會舘には7、80人の受賞者の関係者も招待されます。そのほとんどが私の招待客で占められました。理由は、もう1作の優秀賞の受賞者が授賞式を欠席したから。彼の代理で賞を受けに来たのは某有名雑誌の編集長でしたが、終始、恐縮していました。
 無理もありません。集まった選者の顔ぶれは、あまりにも豪華でした。

 名前の五十音順で紹介すると、桐野夏生氏、椎名誠氏、関川夏央氏、高山文彦氏、二宮清純氏、溝口敦氏です。

 出版業界に携わる者なら誰でも、これほどの作家が一堂に会する場に居合わせるだけでも、緊張するのは当然でした。

 桐野氏には2度、二宮氏には1度、取材でお会いしたことがありました。それでも、授賞式が始まる直前、5人が集まる狭い控室に入り、一人ひとりに挨拶した時には、心臓がバクバクでした。

 その緊張感は、授賞式の会場にも持ち越されることになります。

26日(金)の第8回につづく

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