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第1回 本を出すまでに11年かかった4つの理由

 本を出すのはたいへんです。
 ある程度の売上げが見込める実用書や著名人の自伝、出版社側がノーリスクで出せる自費出版系などは別として、無名の人間が書きたくて書いた本を出版できる確率はかなり低いと言えます。
 たとえば私の場合、ある人物の伝記の執筆を小さな出版社から依頼されたのは2000年の冬で、実際に『さわり』として小学館から出版されたのは2011年11月ですから、11年もかかってしまいました。
 そして、『さわり』の全面改訂版『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』(朝日新聞出版)が文庫として2024年8月7日(水)に発売されるまでには、さらに13年近くの月日が流れました。

 『さわり』が出版までに11年もかかった理由は、予想もしない障壁が何度も現れ、行く手を阻まれたからでした。
 友人たちからはよく「伝記と同様、本が出るまでの経緯もドラマチックだから、そっちも読んでみたい」と言われました。ですから、少しでも「本を出したい」と思う人の参考になればと思い、私の人生で最初の本が出るまで、そして、さらに13年もかかって全面改訂版の文庫本『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』として発売されるまでの経緯を書いてみることにしました。

 『さわり』が執筆依頼から出版までに11年もかかった主な理由は4つありました。
 1つ目は、伝記の主人公が十代半ばから30年間の記録を封印していたから。
 2つ目は、執筆の依頼主が失踪したから。
 3つ目は、伝記の主人公と私が有名ではなかったから。
 4つ目は、著名な作家陣からの酷評を乗り越えたかったから。
 詳しくは、その理由(障壁)に直面したところで、詳しく説明します。

 すべては2000年の冬、別件の仕事の打ち合わせで小さな出版社を訪れたとき、その会社の副社長兼編集長のひと言から始まりました。
「鶴田錦史の伝記を書いてみませんか」
 私が「恥ずかしながら、その方を存じません」と告げると、彼女は「世界的には有名ですが、日本ではほとんど知られていませんから」と言って、その人物の簡単なプロフィールを教えてくれました。

 1995年4月に83歳で亡くなった鶴田錦史は、7歳から琵琶を習い、12歳で浅草に稽古場を構え、13歳でレコードをリリースするなど、まさしく“早熟の天才”でした。
 1965年、50代半ばのとき、武満徹作曲、小澤征爾指揮で『ノヴェンバー・ステップス』を初演した際は、琵琶のソリストを務めました。
 1985年にはフランスの芸術文化勲章コマンドールを受章しました。

「鶴田錦史は新聞に高額納税者として何度も掲載されたくらい、辣腕の事業家でもあったんですよ」と言いながら、編集者が差し出した晩年の写真を見て、正直、引きました。
 髪をオールバックになでつけ、派手な鼈甲縁のサングラスをかけた三揃いのスーツ姿には、異様な威圧感がありました。音楽家というよりも、どこかの組の名のある親分にしか見えませんでした。
「不思議なことに、これほどの偉大な音楽家なのに、日本ではほとんど知られていません。このままでは忘れ去られてしまいます」
 そう言って、彼女はもう一枚、写真を差し出しました。紋付袴姿で琵琶を構えていましたが、それでもやっぱり、いわゆる“その筋の人”にしか見えませんでした。
「ですから、うちの出版社から伝記を出版して、後世に伝えたいんです。日本が世界に誇る巨匠として、高度経済成長期に辣腕をふるった事業家として、そして何より、大正から昭和に至るまでの強烈な男尊女卑の社会で、自分らしく生きることを諦めず、激しく、華麗に生き抜いた女性として……」

 私が驚いて手もとの資料から視線を上げると、編集者は微笑みながら言った。
「鶴田錦史は女性ですよ。お子さんもいらっしゃいます」
 私は視線を戻して、写真付きの記事を手早く探して並べてみました。
 どれもみな「イカつい中年男性」でした。
 私は「資料を読んで、検討させていただきます」と言って、十数枚のコピーの資料を預かりました。

 依頼された時点では、鶴田錦史の「人生」について触れた資料は3つしかありませんでした。
 1つ目は、『文學界』(文藝春秋)に立花隆氏が寄稿した『30時間インタヴュー 武満徹・音楽創造への旅』の1995年8、9月号の記事。そこには鶴田錦史の実業家時代の逸話や、武満徹、小澤征爾との出会いなどが2段組み総計22ページにわたって書かれていました。
 2つ目は、国立歴史民族博物館の小島美子教授が、1984年6月のFM東京のラジオ番組「邦楽散歩道」で4回にわたって行った対談を録音したテープ。
 3つ目は、その対談と翌年10月21日に小島教授が鶴田錦史にインタビューした内容をまとめて『季刊邦楽』(吉川英史発行)に掲載した『嵐を生きる 鶴田錦史の琵琶楽人生』の記事。
 この2つの記事と1本のテープだけでした。ネットでどれだけ探しても何も出こなかったので、とりあえず、3つの資料から分かったことを整理してみました。

・幼い頃から天才琵琶師として活躍
・二十代半ばに結婚、出産、離婚を経験
・二人の子どもを手放し、琵琶の仕事も辞める
・水商売でのし上がり、財を成す
・東京大空襲ですべてを焼かれる
・終戦直後、裸一貫で別府に乗り込む
・女の人生を捨て、男装してビジネスに邁進
・著名人の集まる伝説のナイトクラブを誕生させる
・毎年、「高額納税者」として新聞に掲載される
・資産家となるも、五十歳で実業界を引退
・男装の琵琶師として邦楽界にカムバック
・五十五歳で音楽家として世界的名声を得る

 「実在の人物?」と疑いたくなるほど波瀾万丈でした。
 依頼を受けてから1週間後、編集長に「鶴田錦史の伝記本を書かせてください」と伝えました。
 まさか11年もかかるとは夢にも思わないまま、2000年の冬、私は鶴田錦史の取材を始めたのです。

7月10日(水)第2回につづく

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