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第2回 封印された過去の謎が解けた

 取材は資料集めから始まります。
 ネットや国会図書館、邦楽専門店や昭和史の関連施設などで手当たり次第に資料を集めて、鶴田錦史に関するわずかな情報も逃さず抄出して、整理しました。
 鶴田錦史が生まれたときに付けられた本名は「鶴田キクエ」で「菊枝」と表記しました。琵琶の演奏者は「本名」ではなく、琵琶師の芸名である「雅号」を名乗ります。鶴田錦史の「錦史」は50歳で琵琶界にカムバックしたときに付けられた雅号で、のちに彼女は戸籍も「キクエ」から「錦史」に変えてしまいます。

 鶴田錦史について、少しは資料も増えました。しかし、最初に編集長から渡された3つの資料以上に詳細な情報は見つかりません。同時並行で、鶴田錦史に関して証言できる生存者を探し出して、話を聴きました。
 取材開始から3年が経った頃には、書籍、新聞、雑誌、専門書、パンフレット、CD、SPレコード、ビデオなど、膨大な資料を集めて、生前の鶴田錦史と交流があったご親族やお弟子さんたち、琵琶関係者、邦楽研究者など、20人超の取材対象者から貴重な証言を得ていました。
 それでも、鶴田錦史の人生には、大きな2つの謎が残りました。

 1つは、戦争で全財産を失った30代半ばの鶴田菊枝は、敗戦直後に単身別府に乗り込んだとき、事業家として、どんなビジネスで再起を果たしたのか。
 もう1つは、17歳で上京してから46歳で「鶴田錦史」として復活を果たすまでの30年間、琵琶師として、どんな活動をしていたのか。

 不思議なことに、これら2つについては、どれだけ調べても記録は出て来ないし、誰に聞いても「知らない」「分からない」という返答でした。
 のちに、その理由は判明します。

 1つ目の謎については、敗戦直後に始めた稼業を一般的な商売に変えたときから、鶴田菊枝は絶対にその“稼業”に触れなくなってしまったから。
 2つ目の謎については、邦楽界で絶大な権力を持つ鶴田錦史が、金と力にあかせて、自分の30年間の演奏活動の記録を封印してしまったから。

 鶴田錦史の伝記を書くためには、彼女が闇に葬り去った過去の事実を掘り起こして、2つの謎を解く必要がありました。

 1つ目の謎が解けたのは、取材を始めてから3年半が経った頃です。

 私はやっと、鶴田錦史没後に消息が分からなくなっていた息子の鶴田哲夫さんを探し出すことができました。
 2004年2月、哲夫さんから電話で指示された待ち合わせ場所に赴いた私は、いくつもの人待ち顔の中に佇む彼に迷うことなく歩み寄りました。当時68歳の彼は、いくつもの資料の中で目にしていた晩年の鶴田錦史と瓜二つでした。

 鶴田菊枝は夫の浮気を知ると、生まれたばかりの哲夫さんを夫と愛人に託して離婚します。哲夫さんは継母(菊枝の夫の愛人)を産みの親と信じて、静岡県富士市で育ちました。
「物心ついた頃から年に数回、父に連れられて小田原の旅館に行き、『東京に住んでいる親戚のおばさん』と紹介されて、会っていました」
 彼女が本当の生みの親だと哲夫さんが知らされたのは、終戦から一年後の初夏。小学5年生の哲夫さんは、父親に九州の別府へ連れて行かれ、そこで「親戚のおばさん」が哲夫さんの本当のお母さんだと紹介され、預けられたそうです。
 その頃の哲夫さんの思い出話によって、鶴田菊枝の敗戦直後のビジネスの全容が明かされたのです。

「行ってみたら『メリーゴーランド』っていう店だったんですよ」
 哲夫さんの話によると、鶴田菊枝は二階建ての自宅の一階部分で進駐軍の将校クラス専用の高級サロンを営んでいました。
 店内にはでフロアがあり、客はそこで店に勤める女性たちとチークダンスを踊り、気に入ったら2階へ上がります。2階は二間に分かれており、1つは哲夫さんたち家族が寝る部屋で、もう1つは住み込みで働く女性たちが雑魚寝する部屋でした。その雑魚寝部屋で、客は女性と床を共にするのです。
 それが終戦直後の鶴田錦史の生業でした。

「そんな場所で子どもが寝起きするのはちょっと……ということで、一年ほどして、私は一人で福岡県の親戚の家に預けられたんです」
 厳しい時代を生き抜くためには仕方なかったとは言え、女性たちに体を売らせる商売が嫌だった菊枝は、資金が貯まると彼女らが楽に稼げる普通の水商売の店に切り替えて、さらにパチンコ店やダンスホールなど多角形経営に乗り出し、敗戦から10年後、伝説のナイトクラブ『芭蕉』を開店します。
 これが、終戦直後の事業について、鶴田錦史が一切語ろうとしなかった理由でした。

 哲夫さんの証言から、1つ目の謎「戦争で全財産を失った30代半ばの鶴田菊枝は、敗戦直後に単身別府に乗り込んだとき、事業家として、どんなビジネスで再起を果たしたのか」という謎は解けました。
 それから1年2か月後、もう1つの謎「17歳で上京してから「鶴田錦史」として復活を果たすまでの30年間、琵琶師として、どんな活動をしていたのか」の謎を解くチャンスが転がりこんで来ます。

7月12日(金)第3回につづく

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