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第8回 凍りついた受賞会場

 授賞式の執り行われる東京會舘の式典会場に入る際、招待客には、受付で、表紙に『平成22年8月30日 第17回小学館ノンフィクション大賞』と書かれた小冊子が配られます。
 内容は、受賞者2人の「受賞の言葉」と6人の選者による選評です。

 佐宮圭の『鶴田錦史伝』に対する選評の大半は「本当に受賞したの?」と疑いたくなるほどの酷評でした。

 桐野夏生氏には、都合の悪いところが省かれているのでは?と疑われ、椎名誠氏には、解明されていない謎の部分があまりに多すぎると指摘されました。言い訳にしかなりませんが、都合の悪いところを省いたわけでも、謎の解明をサボったわけでもなく、水藤五朗さんという貴重な証言者を失ったことで、非常に重要な要素となる鶴田櫻玉と水藤錦穣の関係、そして水藤錦穣の人生については、結局、謎を謎のまま残すしかなかったのです。

 溝口敦氏には、鶴田錦史が40歳までの記録を封印した理由が分からず、書き手が推理する過程の記述も不足していると評されました。これも言い訳に過ぎませんが、鶴田櫻玉に関する記録はほとんどなく、若い時代の情報の穴を埋めることができませんでした。

 二宮清純氏は、水藤五朗さんから取材許諾をもらっておいて1カ月も放置したことで、作品の完成度が著しく下がったことに言及されました。返す言葉がありません。自らの失態で師匠にして生涯のライバルだった「水藤錦穣」を描けなかったことは、鶴田錦史の伝記にとって致命的でした。

 どの評も作品の弱点と著者の未熟さを的確に突いていました。

 本来、その批評の刃が鋭ければ鋭いほど、受けた側は深く感謝すべきです。

 まだ作家未満のライターが日本を代表する作家の方々に、作品を真剣に読んでもらい真摯に批評してもらえるなどということは、とんでもなく貴重な経験です。
 そして、そのときの批評の厳しさは、プロの作家を目指す後輩たちへの親心からなされるものです。

 先輩方からの酷評は“作家の卵”の殻を割り、“一人前の作家”へと成長させるための「愛の鞭」なのです。

 実際、関川夏央氏は、選評のなかで、まだまだ不満な点は多いけれど、ノンフィクションの書き手として困難な条件に立ち向かっていくための励みにしてほしいというエールを送ってくださいました。
 それは、選者のみなさんに共通する想いだと推測されます。

 しかし、批評を受ける側は客観的になどなれません。心血注いだ作品を否定されると、どうしても、自らの人格を否定されたかのように思います。
 実際、当時の私は、選評者の皆さんの鞭(酷評)に愛など感じられず、ただ批判された痛みと悔しさしだけを噛み締めました。

 選者の酷評の真意が汲み取れないのは、出版業界に身を置かない招待客も同じです。
 私が足を踏み入れた時、会場にはすでにただならぬ緊張感が漂っていました。

 会場への入場開始時刻から授賞式の開始時刻までには余裕がありました。招待客は、授賞式が始まるまでの手持ち無沙汰な時間をつぶすため、受付で渡された冊子を読むことになります。
 私の受賞を自分のことのように喜び、お祝い気分で会場に足を運んだ招待客の顔からは、次第に笑みが消え、予想に反した酷評にすっかり困惑したところで、授賞式が始まりました。

 司会者は授賞式の開始を宣言したのち、硬い口調で、第17回小学館ノンフィクション大賞は2作の優秀賞が決まり、うち1作の受賞者が欠席したことを告げました。
 選者である6人の作家、小学館の関係者の表情は硬く、笑顔も、お祝いムードも一切ない壇上の雰囲気は、招待客の不安をいっそう募らせます。

 選者代表で関川夏央氏と二宮清純氏がお祝いのコメントをくださいました。

 関川氏は、先に紹介した選評と同様、受賞者である私に、温かいエールを送ってくださいました。

 続く二宮氏のコメントに褒める言葉は一切なく、「作品から音(音楽)が聞こえてこない」という欠点について、強い口調で語られました。
 それは、2人の受賞者がよりステップアップするための「愛の鞭」でした……が、1人は欠席していたので、私だけがその鞭を受けることになりました。

 この段階で、7、80人の私の招待客のなかに、笑顔の人はいなくなりました。
 今でも覚えています。
 会場内の100人近くの人々のなかで、ニコニコ笑っているのは私ひとりでした。

 もちろん、選評でフルボッコにされ、選者の代表コメントでさらに酷評されたダメージは小さくありません。

 しかし、そのときの私には、酷評による悲しみよりも、
「これで本が出る! いまここにお招きした方々も含めて、やっと取材協力者の皆さんからいただいた恩に報いることができる!!」
 そんな喜びの方が優っていました。

 授賞式が終わり、「ご歓談」の時間になって解放された私は、取材に協力してくださった招待客に感謝を伝えるため、壇上から降りました。すると、話せる機会を待ち構えていた友人たちが足早に歩み寄り、心配そうな顔で、
「これ、ほんとに授賞式なのか? なんで、おまえ、こんなにボロカスに言われてるんだ?」
 返す言葉がありませんでした。

 その後、取材協力者のいくつかの集団に歩み寄っては、感謝の言葉とともに、
「出版するまで時間がありますから、書き直して、もっとよい本にします!」
 そんな釈明ともお詫びともつかない言葉を伝えなければなりませんでした。

 後日、小学館の担当編集者から言われました。
「佐宮さんの作品の完成度は高いので、来年3月に出版するスケジュールでいいですよね?」
 私は「はい」と答えました。

 しかし、この出版予定日は、のちに「3月」から「11月」に延期されることになります。


29日(月)の第9回につづく

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