自然発生しないラブにまつわるエッセイ(仮)

私をくいとめて/綿矢りさ

括りとしてはラブコメディになるのかもしれないけれど、黒田みつ子という架空の人物のエッセイを読んだ気分だった。彼女の生活の中で恋愛の占める割合は高くない。物語の前半はほぼ0だと言っても過言ではない。そして、その生活諸々(仕事や友達付き合い、趣味等々)と恋愛の比率感こそが読者の共感を呼んでいるのではないかと思う。

高校時代、古典の授業で百人一首にある百首の約半数を恋愛の歌が占めると聞き、「昔の人って恋愛以外何もしてなかったのか」と疑問に思った記憶があるが、冷静に考えれば現代だって大差ない。ヒットチャートに並ぶ曲はほとんどが直接的ではないにしろラブソングだし、職場の飲み会で恋愛絡みの話が1ミリも出ないことはほぼ無いし、「お仕事ドラマ」を謳っているドラマでも、ストーリーを通して恋愛が全く絡まないものは極めて少ないように思う。人間が複数人集まると、そこにラブは自然に発生するものだという共通認識がなければ、あいのりやテラスハウスといった番組だって成り立たない。

でも、実際、日常生活でラブが自然発生することは少ない。ましてやそれが一方通行に終わらず成就するなど奇跡に近い。世の中皆が言うほどラブは転がっていない。だから、「何かしらアクションを起こし、平穏と引き換えにラブを手に入れる」か「一人でもまぁまぁ楽しく豊かに生きていけるので平穏な日々を続ける」かで揺れる、みつ子みたいなキャラがリアリティを持つ。

そして一人に慣れると人は想像力および妄想力が逞しくなる。「勝手にふるえてろ」で分かる通り、妄想力の逞しい女のモノローグは綿矢さんのお家芸である。今回は脳内に相談相手がいる設定だが、その自分対自分のやりとりも軽妙で読んでいて面白い。

私がこの本で好きなのは話の本筋でない部分も描写がとても細かく笑えるポイントが多いところで、上で「架空の人物のエッセイを読んだ気分」と書いたのはこの特徴による部分が大きい。特に友人を訪ねてイタリアに行く時の飛行機のところなんか、下手したらイタリアに到着してからの描写よりもボリュームがあるんじゃないかと思う。もしかして、この飛行機の中のシーンを書きたいがためにみつ子をイタリアに行かせることにしたのでは、と疑いたくなるほど面白かった。これは飛行機が苦手な人しか書けない文章だと思う。(金原ひとみさんのあとがきを読んでやっぱりな、と思った)

そんな波乱のフライトを経てイタリアから帰国後、同僚との会話が本作のラブ観を表している。
「…イタリアの話も聞かせてよ。イタリア人の男って、すぐナンパしてくるっていうけど本当だった?」
「ローマの街とか結構うろつきましたが、一度もされませんでした」
ほらね、ラブは自然発生しないのだ。


装丁があまり好みではなくて読んでいなかったけど、読んで良かった。帯に実写映画化とあったけど、確かに映像化しても面白そう。

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