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仮面ライダーナーゴにダパーンが必要な理由
仮面ライダーダパーン、序盤のいわゆる『敵ライダー』としてナーゴを策略にはめ
最終的に諸共道連れにしようとしたライダー
これについて結構いろんな意見が出てたので
私個人の見解、なぜダパーンなのか、ギーツ45話の展開予想をしていきたいと思います
まずダパーンの事を『悪』や『敵』と考える人は私的にはそれは違うんじゃないかと思います
ダパーンの願い、それは『人類が滅亡した世界』です
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彼はバスケをやっていて交通事故で足に怪我を負いもうプレーできない体になっています
そのため、逆恨み、自暴自棄の破滅願望として人類が滅亡した世界を望みます
その願いを知った鞍馬祢音、仮面ライダーナーゴは
「『大好きなバスケができる世界』って書けばよかったじゃない」
と言葉を投げかけます
追い討ちに桜井景和、仮面ライダータイクーンも
「デザイアグランプリはより良い願いを叶えるためにあるものだ」
と言い放ちます
この言葉を"正しいこと"だと思う人は、高橋悠也という脚本家のことを理解していないと思います
その証拠に、ギーツだけが「どんな願いでもここでは勝った奴が正しさを持つ」と語り
さらには
「綺麗事ではどうにもならない事もあるんだよ!」
「人の幸せを奪っていい権利は誰にもない!」
と祢音、景和どちらもダブルスタンダードになっています
祢音はその綺麗事で片付けようとし
景和は幸せの基準が自分自身にしかありません
高橋悠也はインタビューでも"性悪説"を唱えており、正論で人に諭されるのはむしろ逆効果
"人は生まれながらに悪であり、善性は教育によって後天的に獲得される"
これを信条としてる人が正論パンチするだけの奴を正しい人間として書くわけがない
それは『幸福な人間の綺麗事』です
次は仮面ライダーナーゴについてまとめようと思います
彼女の願いは『本物の愛が欲しい』
富豪の家に生まれ、誘拐された過去から家の束縛が激しく両親ともうまくいかなかったため、愛を求めるようになります
ストーリーが進むにつれ、自分は女神により作られた鞍馬家の本当の娘の代替品だったと知り、母親の記憶が正常になったため拒絶され、絶望する事になります
その後鞍馬家はデザイアグランプリそのものが破綻したためスポンサーとしての力を失い、国からの保護がなくなり没落
その事で全てを失った父、鞍馬光聖は娘への思いは本物だった、改心したと明かす
女神の力で出来たかりそめの存在の役目なんだと
「父のため」の意識はなくとも「他人のため」に動いた事で、結果的に父を改心させ
初めて愛の形を知ることになります
そして「もう誰も不幸にはさせない」と決意を固め、ベロバを退けます
ナーゴのストーリーの根幹は『愛される事は、愛する人にしか出来ない』
汝の隣人を愛せよということです
だからこそダパーンが最後に必要なのです
もう自分は救われた
だから誰かを救ってこそ、ストーリーの締めになるということです
ダパーンの解説に戻ります
なぜ『人類が滅亡した世界』を望んだのか
なぜ経緯を描写しないのか
結論から言うと、そんなの書かなくても分かるからと脚本が思っているからです
小学生以下の子供に伝わるかは微妙ですが…
私は経緯を考察するには事実だけで十分だと思います
ダパーンに必要だったのは『バスケができるようになること』ではなく『隣人』です
彼は事故に遭ったあと誰かとこの絶望を共有する事ができなかったのです、おそらく親とも
バスケが出来なくなって改めて自分が孤独であると認識したのです
その孤独感は足が治ったからって埋められるものでしょうか?
彼はバスケが天才的に上手かったわけでも、バスケをしてたから周りにちやほやされていたわけでもありません
つまり元々の孤独感を紛らわすためにバスケをやっていただけなのです
努力とは現実から目を背けること
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世界は『変わった』ではなく『終わった』
目を逸らせなくなった彼は現実が追いついてしまった
もう何もかもがどうでもよくなってしまったのです
だからこそ必要なのが今のナーゴ
自分の存在意義を失い、願いを叶えても虚しさは埋めれない事を知ったことで
本当の意味でこの破滅願望を理解し
絶望から立ち上がるために、1人じゃない事を示す
自分がそうだったように
必要なのは勝つことじゃなく『話すこと』
今こそ性悪説
『善性の教育』をする事が重要なのです
これは結構最初から考えてそうで
まず祢音という名前、ネオン
人工の光、自然のものではない
という意味のほかに
『夜を照らす光』
つまり誰かの心の闇に灯る光という事です
ダパーンは景和にも刺さります
「より良い願いのために」と言っていた景和は
今、お前のせい、誰かのせいと
自分の願いによって引き起こされた悲劇を直視できずにいます
「全員が復活した世界」の願いは元々の考えであったはずなのに
メリーやナッジスパロウなど
人間の悪意の側面も見てきたはずなのに
目先の善性はかえって逆効果になる、これが『偽善がもたらす結果』です
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「自分の世界が幸せじゃないと意味がないんだよ」
というセリフは
悪堕ちしたと考える人もいるかもしれませんが
それこそが真実です
誰かを幸せにしたいというのは一歩間違えばただの傲慢でしかないから
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タイクーンはかなり序盤から『偽善』をテーマに書かれていて
姉のためと言いながら就活はそこそこにボランティア、慈善活動
金銭的負担を減らそうとしてるのに募金
本当は寿司が好きなのになぜたぬきそばが好きと言ったのか
それは『負い目』です
例えばニートがステーキや寿司が食いたいと親に頼むでしょうか?
普通の人間であれば、そんな事を言う権利は自分にはない
と遠慮の意思が生まれます
本当は働いて結婚して、親も友達も自分も周りの人全てが幸せでいたい
景和にとって優先的だったのが親代わりであった姉であり
その姉にとって自分は足枷だと感じていたからこそ『善行によって目を背けてた』と考えています
ただこれを『悪』だとか『クズ』だと言うのは違います
誰しもが善性のもと思う事であり
それに対して自身の能力が追いついているかはまた別の話だからです
仕事でミスした人をクズだと思うようなもの
偽善を一括りにしてはいけません
世界を平和にしたいのも本当
けどそんな行動しないのも本当
悪じゃないのも本当
善じゃないのも本当
正義とか悪とかよりもっとチャチなものなので、大抵の人が持ってる偽善です
ただ家族を救うだけがタイクーンを救う事になるのでしょうか
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