REBORN で描かれる家族像からの考察。青春を捧げたヴァリアー編舞台化に寄せて。
舞台ヴァリアー編パート1、パート2をそれぞれ複数回観劇し、改めて「家庭教師ヒットマンREBOREN」という作品に向き合ってみる。親子、血縁、師弟といった関係性が特に重要なファクターとなるのが、今回舞台化されたヴァリアー編の特徴である。さてここで勘の良い同世代の方はお気づきかもしれないが、鮫子の鮫はスクアーロです。餃子ではない。
①ボンゴレI世と沢田綱吉
言わずもがな、ツナがマフィアのボスなんぞに選ばれてしまう原因。フィクションらしく、曾曾曾祖父にあたるがとんだ隔世遺伝でI世(ジョット/沢田家康)とツナは激似である。これは血縁なのでよしとするが、他の守護者まで“性質”だけではなく、姿かたちまでI世守護者と激似なのは不可思議だが、まあいったん置いておく。わかりやすくて大変よろしいと思います。ついでに脱線するとデモンスペードが裏切りものであったのなら、それに性質も姿かたちもそっくりと言われる六道骸を守護者にするのは、ん〜〜〜目に見えるリスク〜〜〜!ちゃんとファミリーのPDCA回そう!!ただしここで六道骸が守護者としてファミリーの一員になり得たのは、愛するものを失ったデモンスペードと違い、彼は愛するものを失わずに済んだからであろう。
閑話休題。
ここで気になるのは、ツナの父親である家光も、もちろん同じくI世(ジョット/沢田家康)の末裔であることだ。しかし現状、組織の実質のナンバー2(正確には門外顧問というボンゴレの半歩外の組織のボス)という座におさまるのみである。いやアンタがボスやりなさいよ。少年漫画としてツナを主人公に据えることが大前提だからだとは思うが、『ゴッドファーザー』など一般的なマフィアものを考えると、家光こそが次期ボス候補と祭り上げられるほうが自然ではないだろうか。キャバッローネファミリーの件といい、シモンファミリーの件といい、マフィアのボスの座は、日本のヤクザよりも若くしてなるものという世界観なのかもしれない。
②沢田家光と沢田綱吉
実は、作品を通して最も問題があるのはこの親子関係ではないだろうか。ヴァリアー編で母・奈々の発言から、この時までツナには“父親は蒸発した”、つまり、単身赴任でも明確な死別でもなく行方不明(しかも理由は不明)で2年も家庭を開けていたことになる。それが突然帰ってきたかと思うと、まともなコミュニケーションもないまま大事件に巻き込まれ、かつその大事件を持ってきたのは結果的に家光であった。自分がなりたくもないマフィア関係のことに巻き込まれた原因は、父親である家光にあり、 かつ、それを家光からきちんと説明を受けることなくなし崩し的に知ることとなった。 リング戦が始まったあとも、さらにその後も、家光からツナへ1対1の丁寧な対話が行われる様子は、作中には明確に描かれていない。 そのうえ父親不在の2年間は、小学生から中学生にあがる最も多感な時期であることを考えると、ツナの人格形成に大きな影響を与えたことは想像に難くない。加えて、思春期の少年にとって大事なその2年間、真実も告げず唐突に姿を消した父親が自分とほぼ同世代の少年と常に行動をともにしていたというのは、思うところがあってもおかしくはない。また反対に、バジルも自分の師匠の子ども、それも見も知らぬ誰かのために日々厳しい鍛錬をしてきたわけで、作風によってはこの両者の関係性で1つストーリーができてしまうくらいには複雑である。良き友となれたのは、ひとえに彼らの人柄ゆえであろう。ふたりともいい子に育ってよかったね!彼らの性根のまっすぐさに感謝しなさいよ大人たち!普通なら目も当てられないぐらいグレてるよ!
③獄寺隼人
マフィアの家に生まれ、マフィアとして育った獄寺は、作中においては比較的わかりやすい家庭環境であると言える。ここでいうわかりやすい家庭環境とは、世間一般的・マジョリティーとして想像しやすいということではなく、作中の世界観において想定しやすいという意味である。大富豪マフィアに見初められたピアニスト(愛人)の息子 で、腹違い(正妻)の姉を持つ。母親は実際には病死であったが、それを謀殺されたと勘違いをするほどにはマフィアの父親との関係性は悪かったようだ。それにしてもピアニストの母親のもとに生まれてピアノが得意な不良美少年だなんて、抜群の相性のフックつけてきたよね。そらオタク引っかかるわ。見事に釣られた。舞台で恋心思い出したよありがとう原嶋くん。
彼の過去の回想が含まれるエピソードで、実の親子関係にある人間以上にフィーチ ャーされるのは Dr.シャマルである。獄寺に殺しの技術を教えたのはシャマルであることが明言されており、実際リング戦では獄寺のレベルアップのための師匠としてシャマルが召喚された。また、獄寺の髪型が実はシャマルの真似をしている(10年後でも髪型に大きな変化はなかった)という裏設定からも、彼がシャマルをマフィアの師匠として仰いでいただけではなく、一人の子として彼に父性を求めていた可能性があると言えるだろう。かつ、命を顧みない行動をした獄寺に対しもう殺しは教えないと関係性を自ら切ろうとしたことを考えると、シャマルの側も、マフィアの弟子という範疇を越えた感情を抱いていたと推測できるのではないだろうか。
④山本武
父親が暗殺剣の使い手であったことから一般人枠と思われた彼が別に一般人ではなかった、という事実は割と忘れがちである(ヴァリアー編で突如明かされる衝撃の事実だが山本本人は「まじで?」程度の受け止めだったので、よく考えると山本の精神構造めちゃくちゃ怖いかもしれない)。普通は暗殺剣を使える人間を父に持たないし、普通の寿司屋の大将は魚は捌けても人間は捌けない。未来編でミルフィオーレに殺されたとわざわざリボーンが言及したことからも、単に山本の家族としてだけではなく、あれほどの腕の持ち主が、というニュアンスも含まれていたと思われる。しかし、山本の父親に関しての謎が解説されることはついになかった。いったいお前は何者だったんだ山本剛...
母親や兄弟に関連する描写が一度もないことも気になるポイントである。山本は、職人気質の父親に男手一つで育てられたのかもしれないが、詳細は不明である。
⑤六道骸と黒曜メンバー
ここでは親子関係ではなく、疑似家族の話をしたい。六道骸とその周囲の人間の関係性は、運命共同体という意味での疑似家族と表現できるのではないだろうか。登場時の黒曜編において、骸は周囲の人間を使い捨ての駒だと言い、周囲もわかったうえでそれでいいと使いつぶされることを了承している。一方的な支配関係、主従関係のようにみえて、運命共同体である彼らは共依存の関係に近かったのではないだろうか。
その後、ツナたちの影響による骸の態度の軟化、文字通りの共依存クロームの存在があり、未来編においても行動をともにしている様子から、彼らは単なる主従ではなく、 わかりにくいが互いが互いを支え合う疑似的な家族のコミュニティを築いていると言えそうである。と言っても、正直黒曜周りは昔からあまり考察したことがないのでふわ ふわ雰囲気で読んでいただきたい。申し訳ない。髑髏ちゃんのヘソチラは可憐の一言だったし、槍を振り回す和田雅成くんはたいへんかっこよかったです。
⑥9代目とXANXUS
ヴァリアー編において最も注目すべきはこの関係性であろう。9代目の実子として育てられ、次期ボス候補として周囲に担がれ、申し分のないマフィアの息子になった15歳のXANXUSを待ち受けているのは、実は9代目とは血のつながりも何もない養子という事実であった。回想シーンから考えるに乳飲み子ではなかったため、5歳程度であったと仮定すると、約10年間、彼は真実を知らされないまま育ったのだ。
9代目は、恐らく彼なりの愛情を持ってXANXUSを育てたことだろう。実子ではなかった彼がボス候補と騒がれるほどの威厳と強さを持ち合わせるようになったのは、 やはり9代目が彼にマフィアとして潤沢な教育環境を与えたからだ。ただし、それはXANXUSのためになったか?彼の欲しいものであったか?というと話は別だ。
親として子のことを思うなら、早期に実子ではないことを伝えるべきであった。そらそうだろうよ〜!そして、ボスとしてファミリーのことを考えても、黙っていることでいつかいらぬ争いを生むことは明白である。「ゆりかご」のタイミングと、9代目が告白しようとしたタイミングが運悪く前後したとも考えられるが、であれば楽観視が過ぎるというものだ。9代目の実子であれば、天地がひっくり返るほどのドドドドドポンコツでもない限り、後継者に名が挙がることは馬鹿でも予想できる。そらそうだろうよお〜〜!!
ツナが破壊したモスカから傷ついた9代目が転がり出てきた時、かけよったツナに9代目はマフィアのボスとは思えないほどの優しい言葉をかける。
「やっと会えたね、ツナヨシくん。きみのことはリボーンから聞いて知っているよ。学校のこと、好きな女の子のこと...マフィアのボスになるには優しすぎる...暴力を好まず、眉間にしわをよせ祈るようにこぶしを振るう...うんたらかんたら」
このシーンだけ切り取ると、穏健派の9代目の側面が垣間見えたいいシーンのように見えるが恐れ入ります、ちょっとよろしいでしょうか?2点、あるんですけれども。学校に好きな子がいて、ダメダメながらも普通の学校生活を送っていたいたいけな14歳を、争いを好まぬ優しい14歳を、マフィアの後継者として指名し暴力の渦に叩き込んだのはいったい誰なのでしょうか?いやお前ではないか〜!!何を部外者面しておるのだお前張本人ではないか〜!!
そして、少なくとも「ゆりかご」までの10年前後、実子として扱い育ててきたXANXUSのことをいったいどれだけ知っていたのかという問いを投げたい。ツナに声をかけたような、きみのことはよく知っているよエピソードを、15歳になるまでのXANXUSに関してどれほど持っていたのか。もしかすると何も言えないのではないのか。何が好きで、何が嫌いで、何を考え生きているか、一度でも正面から向き合って知ろうとしたことがあったのだろうか。なかったからこその「ゆりかご」事件ではないか。そしてその後も目を背け続けた結果が、このシーンである。巻き込まれたツナへの声掛けはわかる、そらそうだ、無視したら無視したでなんだオイお前のせいで巻き込んでおいて未成年たちに謝れ案件である。だがしかし、力尽きそうだったとはいえ、己の息子であるXANXUSに声をかけるどころか一瞥もくれないのはいったいどういう心境だったのだろうか。XANXUSを眠りから覚ましたのは己の弱さというセリフがあるが、つまり、リングを使って氷を溶かしたのは9代目であり、彼はそれを弱さと表現した。ここで表出しているのは、引き取り育てた息子への親としての愛情や保護者としての責任感よりも、自分の跡継ぎである他人の子への期待というボンゴレファミリーのトップとしての顔と言えるのではないだろうか。
人間なのだ、8年前自分に歯向かい、今も自分を兵器の動力源とした男に、怒りを覚えたり恨みを持つことはあるだろうし、マフィアのボスとしてそこで非情な判断をくだすこともあるだろう。この時点で9代目がXANXUSを憎むべき敵と認定して、ツナに託したのならばまだわかる。しかし、9代目はあくまでもXANXUSを息子扱いしている自分という皮をまとって、私が悪い、お前はなぜ、といった自分が注いだ愛情への理解と賛同を求めているようにみえる。子を思う親の顔をしつつ、声をかけ、心配し、あとを託すのはファミリーの跡継ぎである別の誰かなのだ。目の前で繰り広げられる光景に、その時XANXUSは何を思ったのか。コミックスやアニメでは画面の外で想像するしかなかったが、今回の舞台で生身の役者の表情としぐさを見、感じ入るところが あった人は少なくないだろう。林田さんありがとう。
結局、過去の9代目がしたことは、持つものによる持たざるものへの自己満足の施 しに過ぎなかったのではないか。9代目の優しさ全てが否定されるものではないが、人の親として、彼は致命的にズレていたのだろう。こんにゃろしばき倒すぞ。
⑦XANXUSとヴァリアー幹部
これは記事のタイトルからすると完全に蛇足だが、⑤の黒曜との対比で書いておきたいと思う。
舞台をみて改めて実感したのは、まず1つ、ヴァリアー幹部それぞれの独立性である。どうしてもモブ隊員やモブ敵との描写が少ないぶん忘れがちだが、1名1名が何十名という部下を従えるだけの実力とカリスマ性を持った”幹部”である。ゆえに、彼らはヴァリアーという組織をたとえ離れても、ボンゴレファミリーの中であっても外であっても、身を立てることは十分にできるということをまず押さえておきたい。みんな強くてすごいのだ、 中学生に負けちゃうけど。うるせえ次は勝つ。
XANXUS自身は、役に立たなければ幹部でも切り捨てて殺すことを言いふれて憚らず、幹部たちとボスとの関係性も、執着、憧憬、興味、金銭などさまざまであることは本人たちの言動から物語られている。全体として受ける印象は、大人の利害関係である。しかし、今回の舞台化にあたって、脚本や演出、役者の解釈もおおいに含んだものであることは確かだが、本人たちの言葉通りの関係性よりもやや深い、強固なものであった印象を新たに受けた。
例1)パート1における雨戦でのスクアーロ敗北後のXANXUSの言動→高笑いしたのち「これで過去を1つ清算できた」というのは全く原作通りだが、間の取り方、表情の変化、さらにはセリフ後に足取り粗く立ち去ったためにベルフェゴールの肩へぶつかる動作など、割り切れていない複雑な感情が見える。
例2)パート2のリング戦終盤、凍らされた XANXUS を助け出すくだり→一度は逃げ出そうとしたはずのマーモンがXANXUSのもとに戻り、復活に寄与するだけでなく、ベルフェゴール、ルッスーリア、レヴィらとともにXANXUSをかばいながら戦う様子が描かれていた。ベルフェゴールも同様に、自分の享楽と自由のためにXANXUSとともにあったと思われていたが、それだけではない ことがわかったことは意外であった。
なにより、終盤のシーンで最も重要なのは、実子ではないためXANXUSがリングに拒まれた後、ヴァリアー側のXANXUSへの態度が何一つ変わらない点にある。彼らは9代目の嫡男だからでもなく、次期ボスになる男だからでもなく、純粋にXANXUSという個人の強さについてきたことが明らかになるのである(これは原作でも同じ展開ではあるが、彼をかばいながら戦う様子などとあわせてみることで、恥ずかしながらようやく気付いたことであった)。ここで冒頭の話に戻るが、彼らはヴァリアーという組織をたとえ離れても身を立てることは十分にできるのである。そう、別にXANXUS依存せずとも、彼らは独立した道を歩む力を持っているのだ。そんな彼らが、嫡男で次期ボスというお飾りの勲章を失ったXANXUSと一緒に歩み続けることを、葛藤をするでもなくその場で選択したという事実は、非常に大きな意味を持つと思う。彼らの関係性は、決して利害関係だけではなかったのだ。誰よりも最初に飛び出して敵を打ち払わんとするレヴィ、最も重症者でありながらXANXUSのめに再びこぶしを構えるルッスーリア、動けぬからだで呪詛を吐くXANXUSに「かっけー...」と心の底から漏れでたようなつぶやきをするベルフェゴール、マーモンの「...ここまでだ、ボス」ににじむ悔しさ、リングの秘密を知っていればアイツはボスの座を諦めたか?否、と確信を持って自問自答するスクアーロ。そして彼らがこの事件のあとも、ヴァリアーとして10年後の未来に存在していること。家族でもなく、依存でもなく、服従でもなく、彼らの間にあるものを言葉にするのは難しいが、 そこには彼らにしかわからない形の絆とでも呼ぶ関係性がしっかりあったのだ。それを 見せつけられて泣かずにいられようか(反語)。ありがとうリボステありがとうヴァリア ー。千秋楽カテコのマーモンとスクアーロの挨拶、あまりにも泣いてまうやろ〜〜〜。死。
気を取り直して。
ここまで考えるに、REBORNの登場人物たちは各々の家庭の”家族性”の問題を抱えており、中でも特に実父からもたらされるべき”父性”を与えられなかった青少年が多い。
【父性の消失】
・ツナ→ダメと言われつつも、善良で強い人間たりえたのは、圧倒的な母親の愛情の影響であろう。また、父性の一部をリボーンという家庭教師が一部担っていたともいえる。
・獄寺→シャマルという師であり父のような存在、自分の実父実母を知る腹違いの姉(のちに和解)の存在、ならびに生い立ちによる早期の自主自立による人格形成のたまものか。
【母性の消失】
・山本→詳細不明。とはいえ、父親の愛情と、学校での立ち振る舞いからわかるように、彼の周囲には常に彼のことを好いた人間が大勢いたことだろう。
【父性、母性の消失】
・XANXUS→彼だけは、同種の情により補完されることがなかったと言える。代わりに求めたものは、愛情ではなく、ファミリーのボスの座という地位・力・権力という、 よりわかりやすく己を強くするものであった。
要するにこの作品に出てくる大人たちは極めてマフィア的な思考回路による子育て、愛情のかけ方をしているということなのだろうと思う。それは、zeroで浮き彫りになったFateの魔術師の子育て・幸せが一般人の思い描くそれと異なるのと同じことで、良いも悪いもない、思想の違いである。マフィア側の人間と、ツナたちでは思想が違うので、戦うのだ。
かつ、結局は“血統主義”なのだ。『ONE PIECE』『NARUTO』『テニスの王子様』『BLEACH』『鬼滅の刃』しかり、主人公たちの尋常ならざる力の源、そのアイデンティティの根源を”偉大なる父親(ないし父方の遠い先祖)”に求める作品は多い。誤解のないように書くが、私はどれも大大大好きです。SWもスカイウォーカーの血筋の話だしね。たとえばピーター・パーカー/スパイダーマンやスティーブ・ロジャース/キャプテンアメリカは、運命に選ばれた側の人間ではあるが、それは偶然や本人の研鑽の結果であって、祖先が偉大だったから選ばれた訳ではない。
あくまでも、物語が進んでいく中で、よくよくバックグラウンドを掘り下げていくと実は...という展開が大半で、露骨に”血筋による選別”が描かれ ることは少ないが、リング戦における、”ボンゴレリングを結果的に全て集めてヴァリアー側が勝負に勝ったはずが、XANXUSが9代目の実子ではなかったためリングに拒絶される” という描写は、なかなかにエグいと大人になって改めて思う。
生まれた時から選ばれなかった人間は、果たしてどうすればよいのだろうか。