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デッサン


美大・芸大卒と一般大学卒との違いの一つに
デッサンを山程やったかやってないか、があるのではないかと思う。

かつて上司から言われた言葉の中で
(数少ないながら)心に残ってることがある。

「芸大では入学したらまずデッサンを山程やらされる。
そこにあるものを、あるがままに、描く。」のだそう

情報としてそっくりそのままうつす行為は、すべての基本。

そこから観察力を養うのだ。
要素をあるがままに見つめ、あるがままに認識する。
主観はいらない。

そのあとで、要素を重要なものとそうでないものとに仕分けし
重要さに順位をつけて、
人に説明したり、
デザインをつくったりしている。
(でもこれができるのは、ある一定の、気がついた人たちだけではないかと思っている)


私は、その、情報をあるがままに見る ということが
どうやらできないらしい。


最近、朝早く起きて30分くらいで絵を描くということをやっているのだけど、
ほんっとうに「見たいようにしか見ていない」
んだとつくづく思った。

ココは、こう曲がってるはず。とか
ココはこうつながるはず。とか

経験値というか、憶測というか、
当てずっぽうに描く。

だからちょっとずつズレて
サイズの辻褄が合わなくなるし、
あれ?この線どこにつながるんだっけ?
ということがままある。

なぜできないんだろう。
一般大学卒だから?(それは人によるのでは)
真似すること=悪 と思ってきたから(それはある)
そのままうつすことを無意味だと思ってないがしろにしてきたから(それもある)
冷静に考えればわかることなのかもしれないけど、
冷静なつもりで生きてるから、気づかない。
だいぶ遅れて、気がついて、
消えたくなるほど恥ずかしい、ときもある。
恥ずかしいで済んでるから、まだいいか。

私達はみんな、「見たいようにしか見れない」生き物なのかもしれないな。
映画も音楽もニュースも歴史も、何もかも

だからちょっとずつズレて
世の中の辻褄が合わなくなるし、
あれ?この話どこにつながるんだっけ?
ということがままある。


なんてことを
今朝久しぶりに描きながら
件の上司の言葉の意味を
垂れ流すように考えていた。


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