全日制高校を退学した話

 2月29日 退学  
約一年半、不登校期間を含めると約二年在籍していた全日制高校を2月末付で退学してきた。
 きっとこの出来事は自分のターニングポイントになるであろうことから記念としてnoteに書き込むことにした。

 やめた理由としては「留年が確定し、留年してまでこの高校で卒業を目指す気になれなかった。」これに尽きるのだが、一方でなぜ留年が確定するまで学校に行くことができなかったのか、については自分でもうまく説明することができないでいる。

 学校にまともに通えなく頃前私はひどい希死念慮に襲われていた。のだと思う。たぶん。
 たぶん。とするのには事情があり、私はその頃リスカ、OD、その他諸々に手を出したことは一切なく、また不眠、食欲不振等の症状等もなく、ただスマホを触り時間がすぎるのをただ待っていたからだ。
 その間に精神科とやらに行ってみたこともあったが、自分が何に困っているのかが説明できず、治療をするとしても高校生のため薬物療法は一切できないと言われたことにより、精神科への不信感が高まったまま終わってしまった。
 今になってようやく、きっと希死念慮がひどいことを伝えればなにかもっと医師の方もやりやすかったのだろうなと思った。しかし、あと2年ぐらいは病院には行かないだろうなと思う。これは私の性格の問題であり、一回でも不信感を覚えた状態で治療に積極的になれるほど私は柔軟ではないのだ。

 薬物療法の他にカウンセリングというものが存在していることはよく知っている。しかし私はカウンセリングを完全に拒否している。

 私は中学生の頃も不登校であった時期があり、その際スクールカウンセリングと普通のカウンセリングを受けたことがある。しかしそのどちらとも自分の話を話し始めるとどうにも涙が止まらなくなってしまい私はただカウンセラーの話に頷くことしかできなくなってしまうのであった。

 外で泣くことは良くないこと、恥ずかしいことであると育てられたために私は外で他人に涙を見せることに非常に嫌悪感があるためにその2回のカウンセリングは私にとって地獄のような時間であったためにカウンセリングには今も行けないでいる。


 4月18日 追記
 打つまで打って投稿していなかったことに気づき追記を書きつつ投稿することにした

 通っていた高校は好きだった、と思う。話の合う友達もいたし、行事も楽しんで参加していた。しかし、私は疲れてしまっていた。

 所属していた場所が忙しいところだったことに加え、高2から行き始めた塾が追い打ちをかけ、朝6時半に起き夜の10時に帰る生活をし、休日も塾に通った。その全ては行きたい大学に入るためだった。

 夏休みに行きたい大学のオープンキャンパスに行った。普通オープンキャンパスはその大学により行きたくなるために行くものだと思う。私もそれを期待していったのだが、なれない土地による疲労、改めて見た大学の勉強の内容により、自分に自信がなくなり本当にこの大学を目指したいのかよくわからなくなってしまった。

 どんなに勉強がやりたくなくても、あんなに忙しい日々に塾を詰め込んだのも、その大学に入りたいためだったのにその大学にいざ行ってみると自分が何をしたいのかがさっぱりわからなくなり、私の心はポッキリと折れてしまったのだった。

 普段であればそのような状態で落ち込みはするだろうが、復帰できるのだろう、しかし心身ともに疲労しており、将来のためだけに毎日生きていた私にはそのことが何よりも耐え難かったのだろう。夏休み明けから、私は学校にいけなくなった。

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