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新古今愛憎アンソロジー

なにかと理由をつけて散々サボってしまった車校の埋め合わせをするために、キャンセル待ち乗車を図る朝。
早朝はスクールのバスがないから、いつもみたいに下高井戸駅から明大前へ出て、下北沢で乗り換える。
ICカードの残高が足りずに改札で足止めをくらった。チャージをしようと財布を開いたけど、見開きすぐにあるカード入れのスペースは、がらんどうな印象だ。
「ああ」と声に出して呟いて、「そうか、もう学生証がないんだな」の部分は心で呟く。

ここまで書いたところで確か誰かに話しかけられて、一度noteの下書きを閉じた。
書きかけだったことを思い出して再開してる今はもう、入社前日の夜だ。


卒業は25日にした。

卒業をしたとたん、慣れた街の景色が今までとちがって出現してくるアレはなんだろう。

学生最後の春休み、さいごの日だった今日は高田馬場と早稲田で過ごした。
4年間のおさらいとかいう大袈裟なことでもないし、私なんてよくいるふつうの大学生で、よくあるふつうの大学生活を送ったまでなので、おさらいすべき確かで大それた過去があるかなんてそもそも怪しいし、それに、過去に浸ってる自分が世界で1番カッコイイ‼︎みたいな、みっともない幼さと暴力性を備えたおセンチ野郎になるつもりもなかったが、そこで過ごすのが1番腑に落ちる気がしたから。

だけど、例のアレのせいで、馬場と早稲田はなんだか傷つく街へと変わってしまった。
あれほど感懐の隙間に訴えかけてくれる空気があったのに、今はなんだか冷たい。
なんなら卒業式の直後からこの感覚がある。

別に何が変わるわけでもないのに、卒業をしたのだと自覚した瞬間に、今まで私の肌にぺたぺたと柔らかく触れていたものが、いきなり自分の外側にあるものとして、冷たさと恐ろしい巨大さとよそよそしさを持って現れる。
その感覚にわたしはヤラレちゃって、どうにも落ち込んでしまう。心が痛い。

なのにそんな街へ今日赴いたのは、それを克服したいという意地だったのかもしれないし、いや、君は私に優しくしてくれるはずだよねという執着だったのかもしれないと今思う。悲しい。

それとも、まだまだ私は傷つき足りないのかもしれない。傷付きたくて、街へ赴いたんじゃないかしら。頭がおかしいのか、ドMなのか。
こうやってずっと大学時代を拗らせた痛い大人になってっちゃうのかなあと思うと、気が遠くなる。

街だけじゃない、友人との別れ際だって変に淋しい。
卒業式が終わった後、学部の友人たちとぷらんたんへ行った。
授業後とか昼休みにぞろぞろと8人くらいで2階へ上がってた1年生の頃が蘇るようで、懐かしさにどうにも胸がつまった。
いつものメンツ、いつメンとでも言うのだろうか、3ランで談笑をしてたらいつの間にか繋がってた仲間で、私の大学生活を象徴してるような(ちょっと過言)奴ら。
1年生の頃のわたしたちは和風シーフードパスタがすきだった。でも今はみんなブラックコーヒーを飲む。
それはいい。そういうものだから。
だけど、店を出る時のあの感じだけは、"変化"を虚しいものに感じざるを得なかった。

各々その後の予定があったので、店を出るタイミングはバラバラだった。
ひとり、またひとりと階段を降りていく。
「また飲もうな」
「社会人になってもな」
「また夏bbqでもしようよ」
「最高」
「次は中野のエアビでしょ」
「ああじゃあすぐ会えるね、たのしみにしてる」
「じゃ!!」
「元気で。また。」

あの淋しさは到底言葉では繋げないだろう。
最後の方まで残っていた私は、誰かが帰りゆく度になんだか、私の体内に棲みついている愛おしいいのちが遠くへ行ってしまうような感覚に襲われて、とうとうすっからかんになってしまった気がした。

次会う時には、皆それぞれ次のライフステージに立っていて、もう「ここに共にいる私たち」ではない。仮にすぐまたいつものみんなで集まれたとしても、あの時の私たちはもう2度と帰ってこないのだ。
未来が拓かれているということは、果たして本当に幸せなことなのだろうか。

わからないままひたすら時間は前にだけ進む。

だから、卒業をして早稲田生でも会社員でもない宙ぶらりんな私になっても、次の日はいつものように当たり前の顔をしてやってきた。

日の出ている時間は考えごとをする私の脳髄液の中にあっという間に溶けていって、夜が近くへとやってきて、私は銀杏とモロハの対バンライブへ行った。

ずっと憧れ続けた峯田さんの音楽。
彼の研ぎ澄まされた熱情が鋭い矢みたいに突き刺さって、涙が止まらなかった。
そのほかの全てが消え去って、音と声と私だけがそこに存在してた。
彼が奏でた分だけ私も叫んだ。
私がはたらきかけた分以上に返してくれて、私も彼以上に応じる。めちゃくちゃきもちよくて、避妊具をつけないセックスみたいなライブだった。
ステージに立つ側はどれだけ気持ちいいんだろうかな、なんて思った。
あと岡山さんのドラム、近くで感じられて幸せだった。ぽあだむでタンバリン叩きながら歌う彼の笑顔がどうしても忘れられない。後光が射して見えた。たぶんおばあちゃんになっても私の脳裏に焼きついてるんだろう。

あのライブに行って、ああ、私はこれからもこうやって今の瞬間を焼き付けながら生きてくんだって思った。私の今はここにあって、ここにしかないんだと思った。
だからおかげで気を持ち直して、残りの休みも自分の生活として生き抜くことができた。
もしも行ってなかったら、卒業の打撃を引きずって、極度の現実感消失に今頃からだが浮いていたかもしれない。
やっぱり音楽はいつでも私を救う。

けど、浮いてしまって、そのまま宇宙空間までいくのも悪くはなかったともちょっと思う。

宇宙空間まで行ってしまったら、今までのことが走馬灯みたいに駆け巡ったあとに私は破裂するんだろう。
ここには書けない思いが近ごろはたくさん募ってるから、いっそ死んじゃうのもいい。
想いたい人のことを想いながら、死んじゃえたらいいな。
たまにそんなこと思いながら、涙を流す。
泣いて暫くすればいきなり馬鹿馬鹿しくなって、我に返る。
それで眠る。
リピート、リピート、リピート…
オーバーアンドオーバーアンドオーバーアゲインという感じで、えらいこっちゃ。


最後に、書いておきたい別の話をしようと思う。

昨日、コンバースが届いた。
オールスターじゃない。ct70だ。私なりのこだわり。

コンバースをこのタイミングで買うっていうのは、私の決意の表れだ。
働き始めることで"オフィスカジュアル"を纏うのが日常になり、ヒールの高いパンプスを履くことを余儀なくされることがなんだか、「社会に出る」ことの象徴のような気がして癪だったから。
それに勝ってやろうと思った。

コンバースは私にとって自然体そのものであり、若気の至りと痛々しさであり、それを捨てることなく抱きかかえて美しく歳を重ねたカッコいいオトナの履く特権的なものだった。ふつうの(社会に迎合しきった)おじさんやおばさんは、コンバースなんか履かない。履けない。

だからまあ、パンプスになんか慣れてやらないぞという決意表明なのだ。わたしはコンバースを履くオトナになりたい。

それにコンバースは、このままイイ感じに「社会人」になることを志向させられて、イイ感じに迎合させられて、イイ感じにちゃっかりしている大人でいることを求められる、そんな立場に身を置くであろう自分への、アンチテーゼでもある。

自意識過剰で選民思想マシマシな広告マンがいっぱいいる環境に身を置いても、あまりにデカすぎる組織に幼い頃の追いかけるのが怖い夢を忘れさせられた哀しきモンスターがいっぱいいる環境に身を置いても、この気持ちを忘れたくはない。
小綺麗で無難なオフィスレディになんかなりたくない。
自分が何に夢中なのかすら忘れてしまって、目の前の仕事と"社会"におけるエチケットにばかり気を取られる大人になんか、本当になりたくない。

私は私のためにいのちを燃やしたい。

だからボロボロになるまで履き潰してやるつもりだ。
赤坂のオフィスでただひとりコンバースで働こうかな。

これから会社に勤めるようになったら、これまでより世界は広がるんだろうと思う。使えるお金の幅も増えて、できることも増える。知り合う人も増える。知っていることもうんと増える。
だけどそれって、自由になることとはきっと同義じゃない。
私の感覚だと、私は大学生の時の方が自由だったし、なんなら大学生より高校生の時の方が自由だった。
何も持っていないからこそ夢を見れる。何も知らないからこそたくさん想像できる。現実や自分のことすらわからないからこそ、勘違いができる。なんだって描ける。そんな若さを持つ者どうしが肩を組めば、いつだって私たちは最強になれる。
つまり、何もできないからこそ、なんでもできるということだ。
無知は凶暴だけど、同時にものすごく自由だ。魂が誰にも縛られていなくて、生きている感じがする。
閉ざされた中にこそ本物の自由は宿るのだ。逆説的なものこそ本当だ。
私はそう思う。

だけど、そんな自由を手放さなければならない。
先にも書いたけど、時間はひたすら前にだけ進む。
不可逆的なものに抗うには、タイムマシンの開発をするほか手はない。


そんなことなので、あっという間に入社式の日も明日に迫った。
こんなこと言いながらも、実はこれからの毎日が少し楽しみでもある。
自分がどこにいるのかいつも見失わないようにすれば、自由は少ないかもしれずとも、ちゃんと自分を生きれるはずだからだ。
それに私にはなんとなくその自信があるのだ。

だから、ここには綴りきれない思いを抱えながら、わたしをいつでも救ってくれる音楽を携えて、「いのちを燃やす理由」と現在地を確かめて、ちょっとずつ前へと、
いや、
モーゼみたいに掻き分けて、大股で前へと進んでいこうと思う。

おやすみなさい。


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