人間は皆ブラック企業の社長

何かに対して、どうしてもやる気がでないことがある。やらなければいけないことだったり、やりたいことだったり、いずれにせよ自分が「やる」と選択したことに限って、やりたくなくなるものだ。

たとえば、会社で企画書の作成を任される。依頼された時にはどんなことを書こうか胸を膨らませ、なんだか今回は良い企画を書いて、クライアントにも上司にも褒められる様な気がしてくる。とりあえず提出まで日もあるし、アイデアを温める期間として少し横に置いておく。しばらくして、提出期限を忘れているわけではないのだが、なかなか着手する気にならない。「まだ、まだだ。アイデアが温まり切っていない。」少し寝かせる。とうとう前日になっていつも通り、いつ誰が書いたともわからない企画書を真似てなんとか形を作る。

誰に話しても「わかる」と言われる様な凡庸な話だ。しかし、このようなモチベーションの低下を完全に克服している人には会ったことがない。どうしてかはわからないが、皆同じ失敗を同じ様に繰り返している様だ。懲りもせずに何度も何度も。

かくいう私も、今まさに「まだ、まだだ。アイデアが温まり切っていない」のところである。しかし例によって着手する気が起きないので、そもそもモチベーションってなんだ?という様などうしようもない文章をダラダラと垂れ流している。

GW明けに企画書提出しますね

4月の上旬頃、余裕綽綽に私がミーティングで放ったセリフだ。もうあまりにも余裕のある部下のセリフに上司はなんて頼れる部下だろう、と心で涙を流して感動していたに違いない。間違いなく、GW明けには素晴らしい企画書が完成して、堂々とクライアントにプレゼンをする部下の姿が見られると、そう信じていたことだろう。

胸が痛む想いだ。当時の私はこのセリフを言ったことで仕事を誰かに振った気になっていたのだ。あいつは外でもないこの私に、私の許可なく仕事を押し付けたのである。最低の人間だ。

そして今の私は仕事をしないあいつのせいで、企画書を提出しなければ、という気持ちのままGWに突入してしまった。

人間は皆ブラック企業の社長

人間は皆、”今”に対する絶対的な決定権を持つ。その権利を使えば「私の様な誰か」にやらなければいけないことを全て押し付けることが可能だし、今、好きなだけ寝たり、好きなだけ酒を飲んだりやりたいことをしまくることだって容易い。あまりに大きすぎる裁量だ。私にはとても扱いきれない。

みんな自分だけが可愛い

よく言われることだが、この言葉は正確ではない様に思える。私が思うに正しくは「みんな、”今この瞬間の”自分だけが可愛い」のである。

えらい大学の先生がやったらしい、こんな実験の話を聞いた。

双極割引の意思決定バイアス” 被験者には次の様な質問をする。

「あなたは二つの権利を持っています。しかし、どちらか片方は今この場で捨てなければいけません。一つは、①今すぐ1万円を受け取る権利。もう一つは、②1週間後に1万500円を受け取る権利。」

感覚的にお分かりだろうが、圧倒的に多かった回答は①である。②は1週間で5%の利率がついているにも関わらず、そして受け取るのは他でもない自分であることがわかっているにも関わらず、だ。

この実験が示すのは、未来の利益は、現在の利益よりも遥かに割引されて見えるということだ。逆もまたしかりで、未来のコストは現在のコストよりも遥かに小さく感じられる。だから今ここでコストを払うという選択をすることは、人間にとって、とてつもなく難しいことなのだ。

会社の世代交代

未来の自分は今の自分の奴隷である。そう考え、その様に行動する限り、今の自分は過去の自分に支配され続け、未来の自分を支配し続ける。

故に、今の自分の奴隷である未来に成長はなく、ただただ言われるがまま、今の自分が決めたことをただ口を開けて受け入れるだけになる。

ここでブラック企業の社長である私と、ここまで読んでくださっている全てのみなさまに、未来の自分の待遇改善について提案をしたい。未来の自分は、奴隷としての社員ではなく、次期社長に任命する社員だと思って欲しいというものだ。皆さんは自分の会社を担う人にはどうあって欲しいだろうか?どの様な能力を備え、自分という会社を大きくしていくためにどのような能力を備えていて欲しいだろうか?そんな人材を育てるために、今社長として何ができるだろうか?そんなふうに考えれば、自然と未来の自分に対して、今愛のある意思決定をできるのではないだろうか?

今日のところはこのくらいにさせていただきたいと思う。私は、先代の社長があまりにもポンコツだったので、業績を立て直すために、今からテコ入れの企画を練らなければならない。


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