Noteを継続するために、について

毎日Noteと意気込んだはいいものの、1週間坊主になってしまったサメル(覚める)です。
毎日書くネタを考えて文章に落とすのって大変なものですね。

今回は、更新が途絶えたことを反省して原因を分析してみました。
同じような悩みを抱えている方は是非参考にしてみてください。

自分なりに「何がNote 更新のモチベーションを阻害したのか」洗い出してみたところ、大まかに理由は2つあると考えられました。

原因1.目的が不明確だった

まず、Noteをなぜ書こうと思ったのか。原点に立ち返ってみました。最初の欲求は「居場所がほしかった」ということです。皆さんも生きていて、「居場所がない、自分が何者なのかわからない」という漠然とした感情に襲われたことはあると思います。私の場合、それらを払拭するために、何かしらの発信行為に伴う他者からの評価によって、逆説的に自分を知ろう、知ってこの世界での自分の役割はなんなのか仮説を立てよう。というところがNoteを始めた原点でした。「周囲を知ることで自己を解釈する」

しかしこの目的には大きな欠陥がありました。なんとなくNote を始めた私にはここに気づく余裕がなく、見落としてしまっていました。それはびっくりするほど単純で当たり前のことです。

まず、周囲を知ることで自分を解釈しようとする私の仮説には、他者からの評価をベースとした数字でのフィードバックが不可欠です。評価を得るには当たり前ですが評価してくださる方々が必要です。しかしあろうことか、私はNote を書く際、「誰に向けて書くのか」ということを全く意識せずに、自慰行為的に文章を書いているだけだったのです。これに気づいたのはついこの間ですが、自らの愚かさに辟易するどころではありません。

原因2.評価の方法が曖昧だった

前述の、「評価者を意識していないため、そもそもの書く目的が不明確になっていた」ということに付随しますが、では何を持って自分が書いた記事を評価し、より良い記事につなげていくか、この指標を決めることも怠っていました。あえてビジネスっぽく言い換えると、「狙う顧客層も決めず、売り上げ目標も立てないまま、商品化に踏み切った」というところでしょうか。この一文だけで明らかに間違った手順で物事を進めていたことがわかります。例えばフォロワー数の増減や、スキの数など、嘘をつかない「数字」を追う方法ということも考えられたはずです。

数字×感情で評価する

「居場所が欲しい」という漠然とした不安を解消するために、成果を可視化することが最優先事項だと考えています。なぜなら、私が漠然とした不安を抱えやすいタイミングは、仕事中などではなくむしろ時間を「無駄」と感じる過ごし方をしてしまいがちな休日などであったため、「無駄」と感じない、つまり成果が明確である状態が理想だと考えたからです。

しかしいくら数字が嘘をつかないとは言え、追う数字に疑問を覚えたら、自分を肯定して生きていくことはできません。そのため、数字を見るだけでなくその数字が何を意味するのかを常に意識できるような形で指標として使い続け、「あれ?本当にこれを追うのがよいのか?」と疑問を覚えたら都度感情に従って見直していく、という方法をとるのが良いかと考えています。

なぜこんな当たり前のことを書いたのか

古代ギリシア、デルフォイのアポロン神殿に刻まれていた「汝自身を知れ」という言葉。

19世紀の哲学者ジャンジャック・ルソーはその著書「人間不平等起源論」の書き出しで「およそ人間がもつ知識の中で最も有益でありながら、もっとも不足しているのが人間に関する知識であると思われる」と述べています。

現代人の頭のどこかに常にあり続ける漠然とした不安「やりたいことがわからない」

先人たちの記録にもある様に、人間はとにかく自分自身のことをうまく理解できないものです。

今日私が書いたことも、皆さんから見れば「そんなことも気づかないのか。」と言われてしまうような簡単なことです。私も自分のことでなければ、同じ様に思うでしょう。

自分自身を客観的に見て感情に流されない意思決定をすることはかくも難しいのだと改めて実感しました。

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