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金属を穿つ

 一度だけ、他人の耳に穴を空けたことがある。札幌で過ごす三度目の冬だった。

 彼の話をしよう。


 同じ学科であるにも関わらず、私たちは3年になるまでまともに会話したことがなかった。一学年40人弱の学生が在籍するその学科には女子が3人しかおらず、その内の1人だった私は、揃って同じような服を着て同じような眼鏡を掛けている周りの男子学生を見分けることが、長らくできずにいた。喫煙所で仲良くなったツイ廃やレポートを見せてくれる京大落ちの秀才君、やけに話しかけてくるアメフト部の陽キャとのみコミュニケーションを取る日々の中で最初に彼を認識したのは、2年前期の数学か何かの演習での発表だったと思う。

 発表の際には、黒板に学籍番号と氏名を書く。2016年に入学した私の学籍番号の上4桁は2016だったが、彼の学籍番号は2015から始まっていた。その隣に並ぶ三文字の苗字は、全て小学校低学年で習うような漢字だったが、読み方は分からなかった。小鳥遊さんや四月一日さんのような初見殺しの難読系の苗字。留年した人がいるな、とだけ思い、まともに発表を聞いていなかった私は彼の名前の読み方がわからないまま期末試験の時期に突入し、秀才君にマクスウェル方程式について教えてもらっているときの雑談で、初めて音として彼の名前を認識した。


 そのまま大した会話をしないまま3年に上がった私たちは、最初の実験でペアになった。彼に関してあまり良い噂は聞いていなかったが、その実験ノートに並ぶ文字は、意外にも綺麗に整っていた。丁寧に書いているね、実験好きなのと訊けば得意げに「おれは浪速のファラデーと呼ばれた男だから」などと嘯く。出身が東北だということを知ったのは数日後だ。関西には縁も所縁もない人だった。

 私は、わけがわからない男が好きだ。この時に、留年していることや学期の途中から大学に来なくなること、麻雀狂いらしいなんてことがどうでもいいと思えるくらい、私は彼の為人を気に入った。予定調和のように7月に入る頃には実験に来なくなった彼を次に見たのは、後期に入ってからだった。


 久々に会った彼の髪は、綺麗な金色になっていた。ブリーチをかけたばかりなのか、札幌の早い紅葉に合わせたように丁度その時期の銀杏の葉の色をしており、さっぱりとした顔立ちの彼によく似合っていた。

 私は、わけがわからない男が好きだ。俄然興味が湧いてきて、実験室で一緒になる度に話しかけた。彼は語りが上手い男だった。本や映画の趣味が合う上に、生まれ育った東北の限界集落で収集した民俗学的な不思議な話、雀荘で遭遇した無茶苦茶なジジイの話なんかを面白可笑しく聞かせてくれた。二度目の1年生をしていた年には、授業がない日は朝から大学の図書館へ行き、ひたすら映画を見て本を読み、夜には雀荘へ行く生活をしていたらしい。良い過ごし方をしている。

 惰性で付き合い続けていた、ソシャゲとなろう系アニメにしか興味がなかったサークルの先輩には、後期に入ってすぐ別れを告げていた。


 彼は奇行も多かった。実験室の片隅で1人で四股を踏んだり、虚空に向かって正拳突きをしている姿をよく見た。合気道だか少林寺拳法だかの型の練習を、大学にある池の畔でしているような人だった。

 私は、わけがわからない男が好きだ。雪が降る日が増え、吐く息が白くなる頃には、実験の後一緒に帰るのが自然になっていた。夜中に降った雪が溶け切らずシャーベット状になった道で隣を歩く彼が、ピアス興味あるんだよねとぽつりと呟いたのは、11月も終わろうとしていた頃だったか。当時の私の耳は絵本に出てくるチーズの如くバチバチに穴が空いており、家にはニードルとファーストピアスが常備してあったから、考えるよりも先に私が空けてあげるよという言葉が口を衝いて出ていた。

 後日、大学帰りに部屋に連れ込んで美味しい手料理を振る舞い、念のために最終意思確認を行った。14Gのニードルを見て少し怯んではいたが、変わらず穴を空けたいとのこと。何だか昔話に出てくる魔女のようなことしているなぁと思いつつも、彼の耳たぶに触れ、直径1.6㎜の金属柱を穿った。

 好きな男の身体にすぐには消えない傷を刻むという行為には、仄暗い悦びがあった。


 これはもう何年も前の話で、今の私の耳には左3個右2個という常識的な数のピアスホールしかない。しんしんと雪が降り積もる晩に除雪車の音を遠くに聞きながら身を寄せ合って眠ることも、7月のひんやりとした風を浴びながら手を繋いで真夜中の街を徘徊することも、もうない。

 ただ、私の上を通り過ぎて行った他の男達と違って、彼だけはどうか、どこかで誰かと健やかに生きていて欲しいと切に願う。


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