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2023/07/17 無題

大学のとき友達がいなくて広いキャンパスにたった一人透明人間みたいな気分だった

永遠に楽しそうな笑い声がこだましてるキャンパスでラジオや音楽を聴いたり図書館に逃げて本を読んだり絵を描いたりして苦しかったけどそれが救いでもあった

地元で嫌な思いをしてだれも自分を知らないところに行きたかったから無意識に望んでいた環境でもあったのかもしれない

自分は2019年の春にそれまで続いていた地元の元同級生たちとの関係を切った
ずっと誰にも言えていなかった、周りのことを思って我慢していた感情を同窓会の街中で叫んで雰囲気をめちゃくちゃにして泣きながら帰ってもう二度と連絡しないでほしいって言ってそれから連絡しなかったし来た連絡にももう連絡しないでくれって言い残して消えた
自分は新しい街で新しい人間関係を作って、新しい自分として生きていくんだと思った

自分はもちろん人間なので本名があるけれど、大学以降人に本名で呼ばれる機会がなくなった というか人に名前を呼ばれる機会がなくなった 先に書いた通り大学で友達がいなかったからだ 大学というのは無限に開かれた環境で高校とは比べ物にならないほど人がいて、名前を呼んで点呼をされることもないしクラス制度もなくて人間関係を作ろうとしなければほんとにひとりで過ごせてしまうところだった
それで、名前を呼ばれなくなった自分の人格はいつのまにか本名じゃない自分になっていた
趣味も性格も見た目も着たい服も、なんだか高校までの自分とは別人でそこが繋がっていると思えないのだ
だから地元に帰省して何かのタイミングで昔を思い出すたびにいきなりそこが繋がったようで苦しかったし年に数回家族に本名を呼ばれると複雑な気持ちになった 同級生たちとの縁を切ったのも色々な理由があるけどそれはそのひとつだ
病院の先生に聞いてみたら解離症状と言われた 病気の域までは行っていないようだったので気にしすぎることはなかった
新しい自分を生きると割り切ってからはわりとどうでもよかったのだ

そして自分は本名の自分を失ったけど代わりにインターネットで友達ができた 3人だけだけどぼっちの自分にとってそれはありがたすぎる人数だった 歳の離れた異性のフォロワーたちというのもあって、数年前までは友達と思っているのは自分だけで相手はフォロワーの一人としか思っていないのでは?距離を間違えたらよくないな、と思って謙遜(?)していたけど、彼女たちの中でも大事な位置に自分がいることをこの2〜3年で知って、とても嬉しかった
さめと呼ばれたり昔のハンドルネームで呼ばれたりしている
本名じゃなくなった代わりにさめはさめを手に入れたのだ 絵のアカウントを作ってからは幸運なことにたくさんの人に応援されたり絵を見てもらえることが増えて自分に自信も持てた さめはどうしようもなく不器用で性別や属性や見た目や趣味がアンバランスで一目でこれ!っていう人間じゃなくてなかなか社会に適応できないけど、よくよく知り合ってみると面白いやつなのだ



🐟



高校を辞めてから10年近く経って、今年の夏はある挑戦をした

地元は嫌な思い出ばかりで自分はいつも誰かのために頑張っていて、みんなも自分のことを好きだと言ってくれていたのに肝心の自分が苦しい時に全く見向きもしてくれなくて、突き放されて、無神経で、大人も敵で、誰も信用できなくてと恨んでばかりだったけれどそういえば一人だけ自分と似たような子がいて、その子は自分の恩人だったなとふと思い出したのだ

高2の春、自分は怪我で部活を辞めていて、新しいクラスには知り合いが全くいなくて馴染むまで時間がかかっていてちょっと荒んでいて、そんなとき隣のクラスの一匹狼の女の子とずっと連んでいる謎の期間があったのだった

その子は校則にうるさい田舎の進学校でひとり髪を染めて地毛だと言い張っていてスカートも短くしていて、見えない何かにずっと反抗しているような人だった

何がきっかけで仲良くなったのかは覚えていないがとにかくうまがあったのでカラオケに行ってRAD縛りをしたり野球部の彼氏の試合を観に行くその子にひたすら野球のルールを教えたりとよくわからない友情が芽生えていた 恋愛感情はなかった そもそもさめのは恋愛がいまだによくわからない それはいいとして、その子と過ごした高2の夏はとても居心地が良く、地元でそんな気持ちで過ごせた季節があったことをつい最近まで忘れていた

なにせ高3の時は進学クラスの違いかなんかで校舎が別になったこと、その子が新しい彼氏にお熱で自分とあまり関わらなくなったこと、なにより怪我の癒えた自分が部活に復帰して遊ぶ暇がなくなったことで自然と友人関係が解消されていたのだ 今思えば不思議だがスマホのない時代の高校生なんてそんなものだったのかもしれない

それで、すっかり忘れていたけれどその子とこのまま連絡を取らずに生きていくのはちょっともったいないな、とふと思った自分は、本名の自分として繋がっていたLINEのアカウントでその子の誕生日に風船を送ってみた
LINEの仕組みをあまり知らないさめのだけど通知が行ったら連絡が来るかな?と淡い期待を寄せて待っていると、数日後に連絡が来た 

その子は地元で結婚して子供がいるみたいだったけど、相変わらず何も言わなくてもなんだか通じているみたいな感じで、今度年末に帰省した時に飲みに行く約束をした
他の同級生を呼ぶと自分がしんどくなるのはなんとなく通じているみたいで誰も呼ばないと言ってくれた その時は本名で名前を呼ばれるんだろう 

しんどくなるのかもしれないがこれは一つの挑戦であり10年かけて乗り越えた自分にとって大きな出来事だな、と思った



🦐



さめのはさめのとしてこれからも生きていくつもりだけど、昔の自分の楽しかった記憶も少しはあって、本名の自分の記憶や確かにいたはずの友人との関係をたまに引き出しから出してきて思い出すくらいはできるのかもしれない

そうやって生きていけたらいいのかな さめのにとって昔の自分は他人みたいだけど大事にしてやりたいとも思っている不思議な他人で、10年ずっとひとりだったそいつをたまに喜ばせてあげたい気持ちもあるのだ

普段はこんなこと何も気にせずのんびり生きてるのですが昨日病んだ拍子にこういうことを考えたので、いい機会だと思って文章にしてみました
中二病みたいで恥ずかしいですが自分の気持ちなので一応noteに残しておきます

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