感傷論 二項
何をしても面白くない。特にここ2年はなんの事件もなく平和な生活をおくっていて、面白いことなんて何一つ起こらない。映画や小説、他の趣味も、前の方がもっと楽しめた。世界がつまらなくなったのか、もともと世界はつまらないものだったのか、誰かが教えてくれるでもなく時間だけが奪われていた。
生きるとはなんだろうか。
まさかこんなことに今直面するとは思ってもみなかった。
(生きるってなんだ、生きるってなんだ!)
歩く足は止まり、視線は下がる。
(俺はいったい何のために生まれてきたんだ、死んでる人より生きてるってどうやって言葉にするんだ)
思考がぐるぐると回る。
答えはない。誰も答えてくれない。
(どうしたらいいんだ……)
そうする間にも亡霊はゆっくりと光琉に近付いていく。
「ヒカルくん......」
「潤間さん、彼を信じてみよう、もしかしたら彼も私たちと同じかもしれないわ」
後ろで話をする二人だが、光琉には聞こえていない。
光琉には気付いたことがあったのだ。
それは、
「怖いよ、こんなの......」
恐怖心だ。
目の前の亡霊が怖くて仕方がない。
ホラー映画を見たときよりも怖い。
テストで悪い点数を取ってしまったときよりも怖い。
高層ビルから地上を覗き込むときよりも。
ゲームのセーブデータが消えてしまったときよりも。
町に大きな地震が起こったときよりも。
近くに雷が落ちたときよりも。
確かに感じた恐怖心だった。
――。
無表情に光琉の顔を覗き込む亡霊を前に、光琉は呟く。
震える声で。
恐ろしくて声が出ないのではない。
ただただ、この場を支配する圧倒的な力に押しつぶされてしまいそうなの だ。
それでも言わなければならないことがある。
光琉が必死に言葉を紡ぐ。
「怖い......怖いんだ、怖くて仕方がない」
足はすくみ、冷や汗が垂れる。
「お前みたいなやつに会うなんて思ってもみなかった」
三半規管が狂い、重力の方向がわからない。
もう光琉の精神は限界を迎えようとしている。
しかし。
「だからわかったんだ、ここ最近に感じていた違和感に!」
歯を食いしばり、亡霊の顔を凝視する。
そこには冷徹で無表情の亡霊の顔があった。
どんなホラー映画の亡霊よりも歪で狂気の顔。
それでも光琉は続ける。
「何にも感動しない、何も起こらないつまらない日常、なんにも面白くねぇ!!」
ずいと前に踏み込む。
「お前に会うまで俺は生きている心地がしなかった、本を読んでも面白くない、クラスの奴らとゲームで遊んでみても楽しくない、それは俺に感情が無かったからだ!俺が、楽しいって感じるための心構えが無かったんだ!!」
光琉の叫びは辺りに響き渡った。
濁った空気が吹き飛び、民家の窓ガラスがガタガタと揺れる。
「お前のことが怖くて仕方がないよ、でもなんだか楽しくもあるんだ」
光琉は止まらない。
「もしかしたら俺はこの後死んじゃうのかもしれないし、想像もつかないような地獄を見るのかもしれない。そんなの、嫌に決まってる!嫌だから怖くなる、嫌だから恐ろしく感じる、でも嫌だから生きていることが楽しいんだ!!」
風は光琉の背中を押している。
町が、世界が、日和が、遊子が、光琉に手を差し伸べた。
光琉は二人の手を取り、曲がってしまっていた背筋を伸ばす。
「お前のおかげで気付けたよ、ありがとう。だからこそ言ってやる!」
今度こそ光琉は大きく息を吸い込む。
「俺がこの世界を楽しんでいるんだ!俺の楽しみを邪魔すんなぁぁあ!!」
光琉の叫びは波動となり、辺りの空気を一瞬にして変えた。
亡霊は波動に揉まれ姿を消した。
日が沈む逢魔時、その光景はまるで奇跡のようなものだった。
光琉は荒い呼吸を繰り返しながらその場に崩れ落ちる。
日和は光琉の身体を支え、そのまま地面に座らせた。
そして、日和と遊子は光琉の前に立ち、光琉を囲うように立った。
日和は言った。
「やったじゃん!ヒカルくんすごかったよ!」
日和は満面の笑みを浮かべ、右手の親指を立てた。
続いて遊子も。
「そうね、見直したわ」
と、笑顔を見せた。
日和と遊子の温かい言葉を受けて光琉は顔を真っ赤にする。
「いや、まぁ……あれだ。えっと……」
照れ隠しをする光琉に日和が言う。
「俺の楽しみを邪魔すんなーって、すっごい迫力があった!わたし感動したよ!!」
感動、という言葉を聞き、光琉は思い出す。
「......そうだよ、感動だ。俺は、なんでかよくわかんないけど感動することを忘れていたんだ」
その呟きの後に、変なことを口にしてしまったと恥ずかしがる光琉だが、日和と遊子は微笑んだ。
「やったー!それじゃあやっぱり、ヒカルくんはわたしたちと同じだったんだね!」
「同じ?どういうことだ?」
光琉の問いに遊子が答える。
「神無月君も気づいたように、この世界からは感情が失われているの」
「この世界って、俺だけじゃなかったのか!」
「そう、でもほとんどの人は感情が失われたことに気付けない、それは私たちも同じなんだけど」
光琉は少し考える。
(感情がなくなってるなんて、今日の今までわからなかった。さっきまでの俺はどうやって生きていたんだっけ?)
「どうして感情が失われたこと、感情がないことに気付けないんだ?」
「難しい質問をするのね、神無月君は」
「い、いやぁ......そんなつもりじゃなくて。だって感情って言っても、クラスには泣いたり笑ったりするやつらがいるだろ?」
今度は遊子が考え始める。
それを見かねてか、日和がはいはーいと手を上げて話始める。
「それはきっと、感情がバーって外に出ていくものじゃなくて、ドンって受けるものだからだよ!」
「え?」
「だから、バーっじゃなくてドンっなの!」
「もっとわからなくなったぞ!?」
「潤間さんの言う通りね」
「まじなの!?」
やり取りを見てクスッと笑う遊子。
困惑半分だが、光琉もなんだか笑ってしまう。
何故なら光琉は、今の自分がどんな表情をしているかわかっていたからだ。
先ほどまでとは打って変わり、光琉の瞳はキラキラしているのだ。
そして、光琉は心の中で思う。
(あぁ、これが"楽しい"という感情なのか)
日和と遊子は顔を見合わせ笑い合う。
光琉もつられて再び笑ってしまう。
「どうかな、ヒカルくん。わたしたちの仲間にならないかな?」
日和の言葉に光琉は答える。
「やっぱり、お前たちってグルだったんだな。俺にこんな可愛い女子二人の友達ができるわけなかったんだ。どういう仲間なのかは知らないけど、俺を誘うために近付いたんだろ?」
光琉の言葉を受けて日和は少しだけ驚いた顔をする。
「私は神無月君のことを友達だと思っていたんだけれど、神無月君はそうじゃなかったのね」
「童さんはキツいことを言うね......まあ、お互い様だけど」
「ヒカルくん!」
日和は急に立ち上がり光琉の名前を呼び、そのまま押し倒した。
「うわっ、なんだ?!」
急な出来事に対応できず押し倒されてしまう光琉。
日和との顔が近い。
冗談がキツかったかと目をそらす光琉。
日和は怒ったような顔をしていた。
「なんだよ、言い方が悪かったなら謝るぞ」
「謝るのはいい。それに、ゆうちゃんと同じでわたしもヒカルくんのこと友達だと思ってる!」
日和は、コンドは儚げな表情になり語り始める。
「今からちょうど2年前、突然感情がわからなくなって、ヒカルくんも感じたように何にも楽しくなくなったの。ゆうちゃんとわたしは昔から怪異がわかる体質でね、怪異は思念......感情から生まれる存在だから、感情が消えたことはすぐにわかったんだ」
「それって、怪異が見えなくなったとか?」
「うん、正確には、怪異がいなくなった方かな。怪異のいる世界が当たり前だった私たちにとって、怪異は友達みたいなものでもあったんだ。人を襲う怪異ばかりじゃないし、本当は成仏したがってる亡霊だっている。だから怪異がいなくなったとき、私は一人ぼっちになっちゃったんだって思った」
日和の言葉を聞く光琉と遊子。
遊子は少し寂しそうな顔をしている。
日和はさっきと打って変わり、ぱぁっと笑顔になる。
「でもヒカルくんは気付いてくれた!私たち以外で初めて、感情に気付いてくれたんだよ!そんなの、嬉しくて感動しちゃうじゃん!!」
笑顔だが、同時に涙も浮かんでいた。
「わたしはこういう性格だから、たくさんのクラスメイトと"友達っぽく"なれるけど、相手に感情がないんだってわかっちゃうとすごく寂しいんだよ!......やっと、心が通じ合える人に出会えたんだよ」
日和は光琉の顔に手を添える。
これに光琉がドキリとすることはなかった。
彼女の手は冷たかった。
「体温を感じても、話し声を聞いても、わたしは死体と喋っている風にしか思えなかった。みんなが私を友達だって言ってくれていても、私はみんなのことを友達だなんて思えなかった」
日和の顔はいつの間にか悲しみに塗られていた。
「心が通じ合えたのがヒカルくんだから友達じゃ、ダメかな......?」
光琉は日和の目を見ることができなかった。
(俺が気付けなかっただけで、こいつも相当苦労していたのか……)
今まで光琉は、明るく振舞う日和の姿を見てきた。
友達も多く、自分とは正反対の人物であると勝手に決めつけてきた。
しかし、その実、目の前にいる少女はずっと孤独に耐えてきたのだ。
(俺だって、自分の気持ちを言葉にするのが得意な訳じゃない。ましてや女の子と話すなんて経験はほとんど無いんだ。それでも……)
光琉は日和に向き合い、そして言う。
それはまるで告白のようにも聞こえた。
「女の子のお誘いを断る男が、どこにいるっていうんだよ」
恥ずかしそうに、それでもまっすぐ伝える。
「俺と友達になってくれよ、ひより......さん」
日和は一瞬キョトンとした顔になった後、再び満面の笑みを浮かべ光琉に抱きつく。
ぎゅっと抱きしめられ、ちょっと照れ臭くなる光琉。
すると今度は遊子が話しかけてくる。
「あら、私のことは友達と認めてくれないの?」
「いや、そういうわけじゃなくて、えーっと……」
「ふふっ冗談、よろしくね神無月君♪」
光琉は、この日初めて自分が生きていることを感じた。
怪異というものに出会い、感情が失われていることに気付き、悲しんでいる少女がいることを知った。
(これから大変なことになりそうだ)
この何とも不思議な出来事が、先ほど危険な目にあったはずの今日が、とてもワクワクするのだ。
「ところで童さん」
「何?神無月君」
「これ、どうすればいい?」
これと指すのは、光琉に抱き着いて離れない日和だ。
体勢のせいで光琉は起き上がれず、日和は顔をうずめ光琉のワイシャツで鼻をかみだす始末。
遊子はにっこりと光琉に告げる。
「しばらくそのままにしてあげたら?友達の神無月君」
その言葉を最後に遊子はスタスタと帰って行ってしまう。
「揶揄ってるだろう、童さん!ちょっと?!このままおいてかないでよ!俺この後バイトなんだけど?!」
光琉が日和を引きはがす頃には、逢魔刻は過ぎ去っていた。
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