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自分を消しながら、見たものを伝える

「うわー、こんな同行者がいたらいやだな」

『イスラム飲酒紀行』(高野秀行著、講談社文庫)を読んだ際の率直な感想だ。旅には、計画と同じくらい重要な「流れ」があって、「流れ」を感じたらまず「乗る」のがセオリーだ。

しかし、この高野氏は、旅が目的に沿ってうまくいきそうになったところで、「それより、酒はないですか」と切り出し、「流れ」を断ち切る。頭を抱える仲間の様子が目に浮かぶようだ。

この本は、飲酒が禁じられているイスラム国家で、地元の人々と混ざり合いながら、ワイワイ楽しくお酒を飲むことを目指した旅の記録だ。

いろいろとハードルが高いが、私が最も難しいと思ったのは、「地元の人々と混ざり合いながら」という部分だ。どんなイスラム国家でも、イスラム教以外を信奉する人や海外からの赴任者がいるため、お酒を飲む環境があるだろうことは予想される。実際に、私もマレーシアでは普通にお酒を楽しんだ。

ただ、その酒場は観光客向けのストリートであったり、西洋風のおしゃれバーやそれこそ「ハードロックカフェ」のような場所であり、路地に低い机を置いて、ベコベコのイスに座りながら、地元の人々と乾杯といったシチュエーションではなかった。でも、高野氏が望むのはこうした環境だ。

旅を続けてくると、ある時あまり楽しめていない自分に気付くことがある。それは、旅への慣れであったり、その時心に抱えていた問題であったりと理由は様々だが、高野氏の場合は「酒を楽しめるか」を基準にしているようだ。

異郷で美味しい酒とは、分からなくもないが、そのために「流れ」をつかめず、多くの出会いを失った可能性もあるのではないかと思う。まあ、余計なお世話ですが。

文章自体は、相変わらず比喩に富み、僭越ながら「そうそう、こういう表現がしたかったのよね」などと頷きながら読み進めた。やはり上手。

しかし、ノンフィクションの醍醐味は、どれくらい自分(書き手)の存在を消せるかだと私は思っており、その点で少しひっかかった作品だった。