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あきらめ感に抗うには

友人と話していて、結局最後は泣いているというシーンは珍しくない。

昔から私はよく泣いた。言葉でうまく表現できないので、気持ちが言葉を追い越してしまい、それが涙となってあふれてくる。

でも最近は、少し違っていた。涙に至らない会話が増えてきたせいだろう。誰かや何かを強烈に好きになったり、嫌いになったりすることもなく、良くも悪くも安定し、時間は淡々と過ぎていた。

◇        ◇

先日、大阪にあるおしゃれなバーで、友人4人でテーブルを囲み、他愛ない世間話に花を咲かせていた。年齢は50歳を最高に、下は39歳の私まで。あのスコッチが美味しいとか、ジンはand Limeに限るとか、中年らしい会話が続いていた。

話題がキャリア形成になった時に、ふと私は、最近全く文章が書けなくなった話をした。

小説家の才能はないが、以前から社会をちょっとシュールに描くエッセイ的な文章は好きで、毎日かかさず書いていた時もあった。が、近頃は全くテーマが思い浮かばず、何を書いて良いのか分からない。

文章を書き始めるには、フォックのような引っかかりが必要なのだが、そのフォックがどれだけ探しても見つからず、霧の中をもがいているような暗澹たる気分になる。

そう話すと友人たちは、「非常に分かる」と同意したうえで、「年を取るとはそういうこと」「昔、書けなかったものが書けるようになっているはず」と語り、「あと4、5年したらもっと楽になる」とも言ってくれた。そのとき私は、久しぶりに泣いていた。

◇        ◇

若い時の無謀さを思い返すと、あの時のように生きられるとは思わないし、生きたいとも思わない。たまに「20代に戻りたい」などと言う女性をみると、「まっぴらごめんだ」と心の中で叫んでいた。

ただ、私が怖いのは「加齢からくるあきらめ感」だ。

昔は、知識を蓄えて仕事に生かしたい、語学で社会に役に立ちたいと思っていたが、目の前に40が現れたときに、「語学なんて学んでどうする。今さら何に生かす?」と問う自分がいた。「定年まであと20年。老いていく一方のお前に何ができる?」とも。

でも、大阪のバーで私を勇気づけてくれたのは、「今していることが、いつ役に立つか分からない」という友人の一言だった。

役立たないかもしれないけれど、役に立つかもしれない。だから、人は走り続けるしかないのだと。

思えば学生時代、大学受験や就職活動に身が入らない友達に、私は同じことを言っていた気がする。自分に気付くには時間がかかる。でもこの日、ラフロイグを片手に聞いた言葉はしっかりと受け止めた。

#スコッチ #ジン #ラフロイグ