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読み惜しみしたくなる本

少し前に買っておいたのに、読まずにそのままにしていた。最近ある本を読んで、この『キャパの十字架』が参考文献にあげられているのを見て、はたと思い出した。

ロバート・キャパを知ったのは、カメラマンの沢田教一がロバート・キャパ賞を受賞したのを知ったのがきっかけだ。その後、キャパがスペイン戦争中の共和国兵士を写した『崩れ落ちる兵士』を見て、なるほどと納得した。理不尽な死の瞬間を見事に切り取った写真だったからだ。

本書『キャパの十字架』は、キャパに惹かれた筆者が、彼を一躍有名にした『崩れ落ちる兵士』が実際の戦闘中を撮影したものではなく、この兵士も死んでいないと指摘されているのを知り、その真贋を明らかにしようとしたルポタージュだ。

スペインに何度も足を運び、撮影されたという丘を歩き、そこで見た風景、当時を知る人の言葉から、キャパが見たものを再現していく。思い描かれるシチュエーションは、どれも真実のようで、でも全く真実から遠ざかるようで、読者はその狭間を右往左往する。

本には、面白くてどんどん読めてしまうもの、中だるみして読むのが辛くなるものがあるが、これは「読み惜しみしたくなる本」に当たるだろう。読み終えるのがもったいないくらい、1ページずつを大事に読んでいった。

何より、著者の真骨頂である緻密で粘り強い取材が、本全体に散りばめられている。そこには真実への強い渇望があり、その強い信念は続編の『キャパへの追走』に引き継がれる。

新聞記者時代に一度、沢木耕太郎を取材したことがある。といっても短い電話取材だが、当時私は著者の代表作『深夜特急』を「食から分析する」という企画を勝手に進めていて、その時にどうしても著者本人の声が欲しくなった。

今もあるのか知らないが、新聞社には、著名人の連絡先をまとめた通称「電話帳」と呼ばれる分厚い本があり、そこで沢木耕太郎の連絡先を調べて電話をかけた。最初は「秘書さんでも出てくれればいいな」と軽い気持ちだったのだが、受話器から聞こえてきたのは「はい、沢木です」という低い声。

まさか、本人が出るとは思わず、質問事項もまとめきれぬまま、気づけば、全く用意していなかったこと(あまり取材とは関係ないこと)を尋ねていた。

あのときの清涼感のある声。騒がしい編集局のざわめきが、一瞬にして消えてしまうような不思議な感覚を覚えた。どことなく初々しく、それでいて静かな情熱が感じられた。

真実に向き合うことは辛く、苦しい。それでも事実を追い続けるエネルギーに触れた瞬間だった。

私の中で筆者は、いつまでも(深夜特急の旅に出掛けた)26歳のままだが、今年で御年71歳。これからどんな作品を出してくれるのだろうか。とても楽しみだ。