日記2020年9月9日

noteを書くときに気合いが入り過ぎている気がしたので、もう少し日記的に使っていきたいと思う。文章を書くのは好きだ。


新型コロナウイルスについてはよくわからない。私は医学について何も知らないので、なるべく専門的な判断はしないようにして、人が多いところにはなるべく行かないようにしよう、という程度だ。もっとも普段から繁華街に出入りすることもないので、プライベートはさほど変わらないような気もする。私は関東に住んでいるのだが、緊急事態宣言の出ているときは「これはもう、喫茶店に入るのもだめだ」という空気だった。今は喫茶店にもそれなりにお客さんが入っているようだし、みんな「そんなに何もかも自粛していたら生きていけない」という顔をしているように見える。空気や「自粛疲れムード」に左右されて行動していいのか?という疑問はあるのだが、少なくともみんながお金に困らずにこの状況を乗り切ることができるようであってほしいと思う。私もお金に困るのはいやだな。


高校生の生徒が『羅生門』『山月記』『こころ』などを読んでいるとテンションが上がる。自分が高校生の頃も同じ作品を読んだ。古典の良さのひとつは自分と違う世代の人間と、同じ作品を共有できることだと思う。「わたしも若いころにその作品を読んだよ」と先輩に言われることは、これから長い人生を生きていく若い人にとっても価値があるものだと思うのだ。そう思ってもらえる授業をしたいし、そう思ってもらえる人間でありたいものだ。感想を話し合ったりするのも楽しい。それも伝統の継承のひとつのあり方ではないかと思う。


最近、「人間の記憶の仕方は、人によってどれくらい違うのか」に興味がある。私が覚えやすいと思っている方法が非常に覚えにくいと感じる生徒もいるのではないか。反対に、私がこれはいまいちと思う方法で上手く覚えられる生徒もいるのではないか。そうだとしたら、私がすすめる方法がフィットしないのにその方法を使ってしまって苦労する生徒がいるかもしれない。人間は他人の頭の中を覗くことができないのでついつい他人も自分と同じ方法がフィットするのだと思ってしまうのだが、認知心理学などの本を読んでみたいと思っている。

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