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SCENE12:「墓」【メイキングオブ『ワンダーら』】

●シーン概略

石を墓に見立てて墓参りをする少女と、それを見る少女。


◎墓参り

このシーンこそ『2017』において最初に「石」を扱ったシーンである。
そもそも『2017』という作品自体が、私自身が墓参りをしている時に感じたものを出発点としていた。石に向かって手を合わせている、その対象が居なければ私はここに存在しない。それは母方の祖父のお墓だったのだが、その祖父は私が生まれるより前に亡くなっているので、余計に「石」を挟んだ先に縁なるものを感じてしまったのだった。
そこから転じて転じて、このシーンのイメージに至った。まるで墓石には見えない石コロに手を合わせる人物。「」とも共通する、そうは見えないがそこに何かあるのだとしたら?というような。
ちなみに『2017』ではおじさんと若者がこのシーンを演じた。

◎そして、死

墓ということは当然、そこに死がある(あった)ということ。実質的な死のことを語るのは作中唯一のシーンかもしれない(「川」は匂わせにすぎないし、「星」はギャルがまともに話してくれないし。「おばけ」は死とはまた違うことを示してるし)。
今回「誰の?」以降は本作のために書き足した部分である。「星」で述べたように『2017』は、死ぬことそのものの議論だったので、死んだ主体のことにはあまり触れなかった。逆に本作においてはこの”主体性”にこそ意味があるから、誰の墓か問う必要があった……要するに、ここも「自死」を描いているシーンなのです。

◎ハイライトとなった演出

しかしこれは構成の段で気づいたことで、私自身台本を書いた段階ではその思惑は持っていなかった。ネームとして他シーンらを結合していくうちに、「このシーンはもしやこれを言っているということでは…」と薄ら感じ始める。さらに作画に入ったとき、墓参りしている側の顔を描かない(振り向かない)という演出を思いつく。この演出を発見できたことが、私にとってこの作品のハイライトとなった。これは、手を合わせていた彼女自身の墓だったのだ。
流れで言うと、台本を考えているときに「人は心の中でなんか生き続けない」というセリフを最初に思いついて、その後に『2017』の「墓」のシーンを拡張し挿入できるなと図る。その時点では、あくまで『2017』と同じ地平であり、遺された側が去った対象に思いを馳せる過程でするやりとりだった。しかしこう気づいてみれば……彼女が自分の墓に手を合わせているのなら、心の中で生き続けないことも心が少しづつ遠のくことも、主体が発した実感と捉えられる。私がやりたかった「自死を主体から描く」(「川①」の項参照)をほんの少しだけ叶えることができた。

◎まだ終わらない(終われるのに)

とどめに、「心の中以外でどこに行きたい?」である。このセンテンスは台本執筆時点で「いいセリフが書けた…」と思っていたが、主体が発しているという発想が加わりほとんど完璧なものになった。死ぬことを絶望とせずしかし安直に希望ともせず、主体をもって捉えること。もはや本作が果たしたい目的はここに集約されているといってもいいくらいだ。
これで全然終われるのにここをラストシーンとしないのは、私の業かもしれない。

◎阿部共実

月曜日の友達』は私の人生ベスト漫画のひとつでもある

そしてここも阿部共実氏を参照している。「星」に続きだいぶわかりやすいと思うが(吹き出しの形とか)、このシーンに関しては上で述べたような思い入れと感慨が重めに乗っているので、ネームオマージュとのバランスが程よく取れたような気がしている。


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