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『自由研究の自由ってやるかやらんか自由って意味だと思ってた』の回

自由とはなにか・・・。これは大変難しい問題である。死とか青春とか社会とかと同じで、概念はあるが実態はない。でもね、小学生のころの夏休みの宿題のひとつ、自由研究の自由。これに関してはやるかやらんか自由って意味の自由だと完全に思い込んでいた。だから迷わずにやらん自由を選択しましたよ。そしたらなんだい、二学期の始まり、自由研究やってないやんと担任の先生に言われまして。そりゃあ自由ですからと。なに言ってんねんこの先生はと。そんなふうに思っていたところ、自由研究の自由はやるかやらんかの自由ではなく、やらなあかん上で題材が自由という意味であるとの説明を受けまして。自由研究ってそんな意味やったんや。でも、そんなことを今さら言われましても。そりゃあかなわん、もう夏休みも終わってますから。

っていうか、そもそも研究の意味をちゃんと分かっていない。なにか分からないものを自由にしていいなんて、そんな無茶な話あるかね?と今ならそう思う。こちとらまだ小学生だから、身についている語彙がそんなに多くない。よくある子どものころの勘違いとして、波浪警報をハロー警報と思っていただとか、台風一過を台風一家だと思っていただとかが挙げられるが、わたしももれなく同じような勘違いをしていた。波浪警報の浪なんて、中日の立浪の存在を知るまでどんな漢字を書くのか全く分からなかった。ありがとう、立浪選手。立浪がプロになっていなければ、藤浪が出てくるまでハロー警報のままで来ていたかもしれない…なんてことはない。

まあ、そんなふうにして、当時の自分は研究の意味すらちゃんと分かっておらず、自由研究という課題に全くピンと来ていなかった。そもそも今になって思えば、当時の自由研究は全くもって研究なんてものではなく、ただの答えが分かっている再現実験であった。言うならば自由研究ではなく自由実験。あのころ本当に研究なるものを行えていた同級生は一体どれだけいたのだろうか。そしておそらく、生徒たちだけでなく、担任の先生すらも本当の研究がどんなものかは分かっていなかったのだろう。っていうか、そもそも大学で研究を経験していた小学校の先生ってどれくらいいたんだろうか。おったら自由研究という課題について、もっと丁寧に教えてくれるような気がするけど。

そう思うと、セミの成虫の寿命の通説が本当かどうかを自分の力で検証してみて、実は一週間以上生きることを確認した高校生は本当にすごい。

それでも彼は高校生。小学生に自力で同じようなことができるなんてとても思えない。けれども、研究はすべてがうまくいくわけではない。さらには成果が得られたとしても、この研究のように脚光を浴びるものなんて、ほんの一握りだ。だからこの世には、日の目を見ずに埋もれている素晴らしい研究があって、その中には天才キッズによるものもあるかもしれない。

まあ最後に言いたいのは、本当に研究を始める人は「ほら、自由研究だよ。お食べ」なんて風に促されなくても、自分の興味に従って勝手にやり始めるんだろうよってことです。だから夏休みには、自由研究なんてものは課さずに好き勝手遊ばせてくれいっ。

P.S.
セミの成虫の寿命が一週間以上という実験結果は、植松さん以前にも大阪市立大学による調査から得られていたようである。

メスの「みや207」が最長で30日生きていたとのこと。「さとし74」と「りお66」も長生き。



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