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『友達でもないくせに有名人を下の名前で呼ぶやつ』の回

有名人のことを下の名前で呼ぶ人っている。自分は絶対にしようとはしない感覚だから、そんな人を見ると『下で呼ぶやん・・・』と心の中で唱えてしまう。仲の良い友人が下の名前で呼んだときには「なんやおまえ友達かっ!」とツッコんでしまう。こっちは心の中ではなく実際に。

こういう風に有名人の名前を下の方で呼ぶ人としては、アイドルファンの人たちに多い気がする。まあアイドルとの接し方を疑似恋愛と捉えてみれば、呼ぼうとするその感覚も分からないことはないが。アイドルファン以外にもこの行動をとる人たちはいて、それはヤンキー気質の格闘家ファンたちである。彼らは強い格闘家のことを下の名前で呼ぶ。井上尚弥のことを尚弥と呼ぶし、村田諒太のことを諒太と呼ぶし、朝倉未来のことを未来と呼ぶ。まあ朝倉未来に関しては弟の朝倉海もいて、名字で呼ぶと区別がつかなくてややこしいからしょうがないかもしれないが。とはいえね、直接会ったこともない人のことを下の名前で呼ぶのはやっぱり凄いなと。どれだけファンであろうと自分はよう呼ばんなと。

ただここで、格闘家側も下の名前で呼んで欲しいのではないかという疑惑が浮上した。魔裟斗に拳四朗に武蔵。彼らは自らの意思で下の名前をリングネームとして登録している。なにか格闘家とファンの間で、わたしには理解できない価値観が合致しているのかもしれない。ん? 武蔵の本名ちゃんと調べたら森昭生やん。下の名前、武蔵じゃないやん。まあ魔裟斗も本名の漢字は雅人で渋めやけども、辛うじて原型は留めている。武蔵もさ、もっと自分の本名に自信を持って昭生で行ったらいいやん。ええやん、昭生。魔裟斗みたいに亞鬼悪とかでもいいやん。

相手の名前を下で呼ぶということは、その人物のことを他の人と比べて仲の良い存在であると認めている意思表示になるだろう。思えば自分は高校生になったぐらいから、同級生を下の名前で呼ばなくなった。そして、他の同級生たちは互いに下の名前で呼び合っていることから、これは高校生全般に言えることではなく、わたし個人に当てはまる事例ということになる。わたしから相手のことを下の名前で呼ぶことはなかったが、相手側からわたしが下の名前で呼ばれることはあった。相手側から下の名前で呼ばれ始めた瞬間の照れったらもの凄いものがあった。もちろん相手が感じる照れではなく、わたしが感じる照れである。なんだか認められたような、だけどちょっとだけ気恥ずかしいような、そんな気持ち。

そう思うと、有名人の名前はおろか、友人の名前すら下の名前で呼ばないわたしがおかしいのではないか。下の名前で呼ぶことのハードルを勝手に感じてしまっているのではないか。先ほども書いたが、相手を下の名前で呼ぶ行為は、相手との仲が深まったとこちら側が判断した証と考えられる。わたしはそんな風にして、相手と仲良くなったと自分の方から意思表示する自信が持てない。だから、いつまでたっても相手を下の名前で呼ぶことができない。あだ名はまだ呼べる。なんだか照れ隠しのようにワンクッション挟んでいる気がするから。でも下の名前はあだ名よりも迫真性があるような気がして、いざ呼ぶとなると怖気付いてしまう。アイドルファンも格闘家ファンもわたし以外の同級生たちも、みんな心を開いて相手に接しているからこそ、相手の名を下の方で呼んでいる。それがわたしにはできない。

最近思うのが、人生を楽しむためには、いかにしてしょうもない照れを失くしていくかが重要だということだ。自分から心を開けば、世界の方からあなたに近寄ってきてくれるはずよ。だから自分よ、いい加減目覚めなさぁい。心を開いて行こうぞ。心を開国して行こうぞ。そうすれば明るい未来が待っているはずだ。夜明けぜよ、夜明けぜよ。・・・。いんや、無理やな。



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