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『テスト期間中に読み返すスラダンの麻薬的面白さ』の回

テストが近づいてきたころ、部活も休みになり放課後は勉強に励むためにさっさと家に帰る。今日は数学をあっこまでやってぇ、その後英語の構文を覚えてぇ。だいたいこれぐらいのペースで勉強をすれば、テスト本番には結構いい点が取れるだろうな、などと考えながら自転車のペダルを漕ぐ。自分の住んでいるマンションに着き、自転車置き場へと向かう。このマンションの自転車置き場には蚊が多くて、さっさと停めてしまわないと刺されてしまう。半袖の先に伸びる自分の腕の地肌に蚊が止まっていないかを注意しながら自転車のスタンドを降ろす。階段を上りながら、家に帰ったらすぐに勉強を始めようと心に誓うが、果たしてそう上手く行くだろうか。ただいまぁ。リビングを通るとそのままソファに座ってダラダラしてしまうため、直接自分の部屋の勉強机を目指す。それにしても夏は本当に暑い。実際にはそんなことはないのかもしれないが、毎年毎年、前年よりも暑くなっていっている気がする。自分の部屋に入ると、とりあえずすぐに机の上にあるクーラーのリモコンのボタンを押して、制服のカッターシャツとズボンを脱ごうとする。汗でズボンが引っ付いて膝のところでやたらと突っかかるから中々脱げない。無理やりに引き剥がして脱ぎ終わり、下着のままで机に向かって椅子に座るが、汗が全く引いてくれない。汗が引くまでの間、少しだけ休憩をしよう。・・・。ちょっと机汚いな。今のうちに整理するか。・・・。あかん、めっちゃスラダン読みたい。でも読んだら勉強せんくなるし。・・・。ランダムに一巻だけ読もう。それで終わろう。マジで。読み終わったらマジで勉強する。ホンマに一巻だけ。ハイッ。21巻やん。読まんくても分かる、めちゃくちゃ面白い巻。陵南戦めちゃくちゃ面白い。「君は日本一の高校生になりなさい」って、おれも顧問に言われてぇ。てか、部活してぇ。テスト休みに入るまであんなにだるかったのに。いまはめちゃくちゃ部活がしたい。もうアカン。続きを読んでしまう。

長々と書きましたけれど、こんな風に勉強しなかったことがこれまでの人生で何度あったことか。そして漫画を読んだあとはだいだい18時前ぐらいになっており、一度お風呂に入ろうとなる。お風呂から出るとホッと一息付いて休憩してしまう。19時の晩ご飯まで20分ぐらいだけ勉強する。晩ご飯を食べてお腹がいっぱいになり、20時30分までと決めて休憩する。流石に20時30分からは勉強を開始するも、22時になる前には気づけば漫画に手を伸ばしている。気づけば。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降だる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

とは夏目漱石が彼の著書、「草枕」にて書かれたお言葉。スラムダンクという芸術に手を伸ばすことで、勉強というこの世の苦しみ、退屈を束の間忘れることができる。ろくに勉強もせずに、生まれ変わったら流川になりたいと思うわたしは、もうただのどあほうでございます。

とはいえ社会人になったいま、あんなに勉強をする時間が与えられていたのはとても幸せなことだったんだという、ありきたりなことを思う。テスト期間中に思う部活動の楽しさと同じく、離れてこそありがたみが分かる。ただ、いざタイムスリップをしたところで、すぐに当時の勉強の退屈さを思い出してしまい、勉強ができる幸せを享受することはないのだろうとは思うけれど。どうせまた、スラムダンクを読むことであろうよ。面白いから仕方がない。

人間の気分は常に振り子のように振れていて、夏には冬が恋しくなるけれど、いざ冬が来ると今度は夏のことばかりを考えてしまう。不幸の真っ只中だからこそ幸福を感じる瞬間に出会えるし、幸福だからこそ些細なことで不幸を感じる。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもんです。テスト期間中にスラムダンクに夢中になってしまうのもこれと同じこと。2つのメニューのどちらを食べるかを悩んでいて、いざ頼まなかった方を友達が食べていると、そちらの方が美味しそうに見えて正解に思えてくるのもそうか。いや、これはちょっと違うか。まあそんなことは百も承知であったとしても、わたしは欲深き人間であるから、来世は流川ばりにバスケが上手くて、テスト期間中にスラムダンクを読んでも賢くて、春も夏も秋も冬も常にそのときが最高である、どちらも幸福で糾われた縄で出来た人生を送りたいと思っている。自分が食べるメニューくらいはちゃんと悩むので、どうか神様仏様、来世はよろしくお願いします。


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