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『直接関りがなくても噂だけで人のことを嫌いになれるタイプの人間』の回

 ここは噂ばかりが飛び交う町で、今日もわたしの耳には次から次へと新しい噂が飛び込んで来る。駅前のコンビニにはガリガリくんの当たりはひとつもないらしくて、近所の酒屋の息子は酒屋の息子のくせにスーパーで缶酎ハイを万引きしようとしたらしくて、同じマンションの二〇一号室に住んでいる愛想の悪い一家は木星に四つある衛星のうちのひとつから来た宇宙人らしい。誰がどこで何を見て、それが一体何人の人間を通ってわたしの耳まで届いているのかは分からないけれど、そんな噂を聞いたわたしは、元からそんなに食べないくせに駅前のコンビニでは絶対にガリガリくんは買わないでおこうと心に決め、酒屋の息子を見ればバカで万引きしそうなやつだと思い、二〇一号室の家族は宇宙人であることを隠すために人間に擬態しているんじゃないかと疑っている。袋を開けずにガリガリくんの当たりだけを抜き出す方法は知らないし、酒屋の息子の学校の成績も知らなければ、木星にいくつ衛星があるのかも知らない。それでもわたしはその全部を本当だと思いながら生活している。

 ある日の放課後、クラスメイトの数人と教室に残ってグダグダと噂話をしていると、その中のひとりが「でも、何も考えずに噂を信じるのもどうなんだろうね」なんてことを呟いた。でも、わたしは知っている。そんなことを言いながらも、その子が色んな噂をみんなに言いふらしていることを。なぜなら、そんな風の噂をどこからともなく聞いたから。正直、噂が本当かどうかは全てどうでもいいことなのだ。真偽を確かめるには骨が折れるし、何も考えずに信じていたほうが楽なのに違いはない。だからわたしは、わたしの耳に入る噂を全て鵜呑みにして、それらをもとにしながらこの町の全容を把握していく。

 そんなある日、ついにわたしの耳にわたし自身にまつわる噂が飛び込んできた。その内容を聞いたとき、わたしは身体の芯から震えた。その噂の内容は、誰にも打ち明けていない、絶対に誰も知るはずのない出来事に関するものだった。ただ、わたしが身震いしたのは、その出来事がどこかから漏れてしまった恐怖からではなかった。その噂が紛れもない真実だったことに感動して、わたしは身震いしてしまったのだ。誰も知るはずのない、わたしがひた隠しにしてきた秘密。それが噂として広まっているということは、鵜呑みにしていたとはいえ、心の底から本当に信じられてはいなかった幾多の噂話も、すべて本当だったということだろう。駅前のコンビニにはガリガリくんの当たりは置かれていなくて、酒屋の息子はスーパーで缶酎ハイを万引きしていて、同じマンションの二〇一号室の一家はみんな宇宙人だったなんて!

 翌朝、わたしは目を覚まして学校へ行く準備をする。玄関を出たところで二〇一号室の奥さんと鉢合わせる。おはようございますと挨拶をしては、いつものように返事を聞かないままマンションの階段を降りて駅へと向かう。駅前のコンビニに寄って、お昼ご飯のパンとジュースを適当に選んで手に取る。朝のこの時間はいつも学生やサラリーマンで混んでいて、この日もその例外ではなかった。レジを待つ列に並びながら、アイス売り場のガリガリくんを一瞥する。コンビニを後にして、三番線のホームに向かうと、いつも乗っている時間の普通電車がドアを開けて発車のときを待っていた。空いている席に座り、電車が発車して十五分ほど揺られていると学校の最寄り駅に到着した。改札を出てから学校へと続く道はほとんどまっすぐ歩くだけになっていて、その道すがら、前方をポツポツと歩いている制服の中に、浮かない顔をした酒屋の息子が紛れているのに気がついた。

 ほとんどいつもと変わらない登校風景であるにもかかわらず、わたしの胸はなんだかドキドキしていて、新しい季節の到来に気づいた瞬間のように、澄んだ空気がわたしの鼻を通り抜けては肺に入っていくのを感じた。今日は一体どんな噂話を耳にできるのだろうか。そんな高揚感を胸に抱きながら、今まで聞いてきた噂話についても、わたしの秘密がバレてしまったことについても、全て何も知らないような顔をして、今日も校門をくぐる。


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