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『なんかあったときにちゃんと怒れる自信がない』の回

いきなり謎のカミングアウトから入るが、わたしは自分で自分のことを割と穏やかな人間だと思っている。だから、めったに怒ることなどない。いや、厳密に言うと怒りを覚えることはあるのだが、それを表に出すことはない。ただ、ふと思うのである。これは怒らないのではなく、怒れないのではないかと。

そう考えると、怒るとはとても難しいことのように思えてくる。ブログにも書いたが、例えば電車に乗っていて全く面識のない人に急に顔をパァンと叩かれたら、果たして自分はちゃんと怒ることができるのだろうか。おそらくちゃんと怒れないだろうと思う。100%向こうが悪いにも関わらず。いや、これは極端なたとえ話を持ってきすぎたか。そりゃ怒れへんわな。100%向こうが悪いとはいえ、急に知らん人にしばかれるなんて、ほぼほぼ交通事故みたいなもんで、怒りよりビックリが勝つタイプの出来事だから。この例は取り下げさせてもらいます。

じゃあこれはどうだろう。トイレの小便器で小便をしているときに急に知らない人に後ろからどつかれたら、果たして自分はちゃんと怒ることができるのだろうか。おそらくちゃんと怒れないだろうと思う。100%向こうが悪いにも関わらず。いや、これもさっきと同じ「急にどつかれるシリーズ」か。でもこの、用を足していて無防備な状態って結構危険よなあっていう話は、男子の間でこれまでに結構してきた話題ではある。

変なたとえ話を挙げるのはやめにして、真面目に自分の話をしよう。わたしは同じ会社の後輩がちゃんと働かずにサボっていることに対して、ちゃんと怒ることができないのである。まずは人に怒れるほど自分は仕事に没頭していないし、それにサボるもなにもそれはその人の勝手だ。そんな風にして怒らない理由、屁理屈を探してしまうのだ。グダグタと怒らないで済むような言い訳を考えてしまう。

まあ上のことは、本当は怒るべきことではあるけれど、百歩、いや千歩譲っていいとしよう。ただ、わたしは明らかに自分が馬鹿にされたような不愉快な発言をされたときでも、怒ることができないのである。その発言に反抗することで消費されるエネルギーを考えてしんどくなったり、まあこの人とは適当に表面上の付き合いで済ませたらいいと逃げたり、そんな風にして怒らない、怒らずに済む選択肢を考えて選んでしまう。怒ってめんどくさいことに巻き込まれるのが嫌で、そうなってしまうぐらいなら自分のために怒らない。でもここは、本当は自分のために怒るべきなんじゃないかとも思う。普通に考えて自分の身に降りかかっていることなのに、巻き込まれたくないと思うのはおかしいことだ。ここで怒らないといった行為は、自分が自分を一番ないがしろにしているんことになるんじゃないか。

とは言いながらもやっぱり怒るのって難しい。どうしても自意識みたいなものが邪魔をしてしまう。ちゃんと怒れるようになりたいとまでは言わないが、ちゃんと怒れた方がいいよなあとは思う。しかし、ちゃんと怒るといった方法が分からないまま、なんとなく見送り続ける日々である。


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