民衆を導く自由の女神

『オカンは何事においても絶妙に間が悪い』の回

こんなこと、これまでにダウンタウンや中川家などのお笑い芸人たちが散々ネタにしてきたことであり、今さら書くようなことでもないがあえて書く。オカンは絶妙に間が悪い。

ああ、そろそろお風呂に入ろうかなと思った矢先に「アンタ、はよお風呂入りや」とオカンは言う。ああ、そろそろテスト勉強しようかなと思った矢先に「アンタ、いつまでテレビ見てんの?」とオカンは言う。ああ、そろそろお菓子食べるのやめようかなと思った矢先に「アンタ、そんなお菓子食べたら晩ご飯食べれんようなるで」とオカンは言う。オカンのやろうとした矢先に言ってきてやる気奪ってくるシリーズ。

そもそも、なぜやろうとしたことをやれと言われるとやる気がなくなるのだろうか。この天邪鬼の原理はどういったものなんだろう。ということで調べてみると、なにやら心理的リアクタンス理論というものについて書かれた下記の論文がヒットした。

今城 周造, "説得への抵抗と心理的リアクタンス ー自由の文脈・決定・選択肢モデルー", 心理学評論 Vol. 48, No. 1, pp. 44−56 (2005)

この論文を参考にして、心理的リアクタンス理論とは何かを簡単に説明すると「人間は自由を侵害されると、その自由を取り戻そうとする性質がある」といったものになる。この心理的リアクタンス理論の定義から、お風呂に入ろうとしたときにオカンに入れと言われて入りたくなくなる理由を考えると次のようになる。まず、わたしは初めにお風呂に入る/入らないを選択する自由をもっている。そして、入る選択をとろうとしたときにオカンに「はよお風呂入りよ」と言われると、お風呂に入らないという選択の自由を侵害されたことになる。そこでわたしはお風呂に入らない自由を取り戻すべく、やっぱり入るのをやめよう、嫌です、といった心理状態になる。これは言わば自由への戦い。この文章を書いているとき、わたしの脳裏にはドラクロワの描いた絵画「民衆を導く自由の女神」が浮かんできた。立ち上がれ、お風呂に入ろうとしないわたしよ。

それにしてもこの論文の導入文が面白い。心理的リアクタンス理論に基づく反発の実例を集めるべく、著者があえて被験者たちの自由を侵害したところ、思いのほか被験者たちが反発の態度を示さなかった。なんなら自由を侵害されるような説得をすんなりと受け入れることさえあった。そんな実験の様子を見た著者の研究室の先輩は、

被験者に反発を期待すると、それに反発して同調するのではないか!? (pp.44)

と言ったそうな。そう、反発しろと(暗に)言われて、それに反発して反発したくなくなるのもまたわたしたちなのである。

ただ、この反発、リアクタンス効果は、説得する側とされる側が同じ立場でなければ見られない現象なのである。つまり、息子はお風呂に入るつもり、オカンもお風呂に入ってほしいという同じ立場であるときに、オカンから「お風呂入りよ」と言われなければ反発は起こらない。息子はお風呂に入るつもりはない、オカンはお風呂に入ってほしいといった別々の立場のときに、オカンから「お風呂入りよ」と言われても「いや、おれはお風呂には入らんのや!」と強く反発したくはならないのだ。

その他にも文化の違いによっても反発のしやすさ、リアクタンス効果の出やすさは変わってくる。特に、この論文中に記載されている西洋の個人主義文化と東洋の集団主義文化の違いによる、リアクタンスの表出しやすさの差に関する考察は示唆に富み、非常に秀逸である。西洋の個人主義文化と、日本のような東洋の集団主義文化では、前提となる"人間は自由であるべき"といった認識の強さが異なり、心理的リアクタンス理論の適用できる場面が違ってくるのだ。

自分なりに意見を持ち、自己主張することが求められる文化では、態度の自由は重要であろう。一方、周囲に合わせ、無難な考えの持ち主であることが賞賛される社会では、態度の自由は重要性が低い。説得場面でリアクタンスが果たす役割は、東洋では相対的に低いと言わざるを得ない。 (pp. 48)

西洋では自由であることが理想的な生き方とされており、人に言われたことに反発する、つまりは他人に決められるのではなく自分の意思で決めるといった態度を取りやすくなる。一方、東洋では「和を以て貴しと為す」という言葉があるように集団全体の調和をとる生き方が理想とされるため、人に言われたことに反発するリアクタンス効果は出にくくなる。

これらを踏まえるとつまり、家庭は集団主義である日本においても個人主義のように振る舞える私的な場であり、お風呂に入る、宿題をするといったことは、比較的個人(息子)の自由が利く問題であるからこそ、息子はオカンに反発できるというわけだ。おそらく社会的な場でオカンの言うようなことを言われても、そもそも環境条件的に反発しようとは思えないのだろう。

なんだかこんな風に書くと、わがままを言わせてくれるオカンの存在が文字通り聖母のように思えてくる。ものすごくオカンに感謝したくなってきた。オカン、ありがとう。面と向かって言うのは恥ずかしいから、こんなとこでしか言えんけど。ただ、やっぱりお風呂は自分のタイミングで入りたいから、そこは今後ともよろしく。ホンマに。


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