架鉄ネタメモ書き

国鉄水江線 概要
路線はこんな感じ
https://ku-tetsu.net/301081.html

要は国鉄の孤立路線をやってみたいなと思ったので考えてみました。例によって俺は車両にしか興味がないので、歴史とか沿革は一切設定しません。路線成立の流れとしては以下の感じかな

最小曲線半径はR=160、最急勾配は貨物列車も走るので10‰。列車は2両つなぎで40mしかないけど、貨物列車が行きかいできるよう320mの有効長を交換可能な水江駅には取っておきたいところ。最高速度は65km/hだけど、出せる区間はほとんどないんじゃないかな?
一応電化はしてるけど、貨物列車は主にDL牽引予定。たった4kmとはいえ水江線内に変電設備はなく川崎貨物線から給電してもらってる関係で末端は電圧降下がすさまじく、とてもF級電機なんざ走れんと思うし川崎貨物駅でスイッチバックするのだからEL使う意味も薄いし

1964年

貨物線として塩浜(操)~運河間3.3km開業(各荷主の側線・引き込み線はカウントせず)。同時に従業員輸送向けの旅客輸送も浜川崎~運河間において開始。荷主は日本鋼管、東亜石油、大阪製糖、日本造船、日本鉱業、出光興産など。電車は中原電車区所属の72系(たまに40系)を2両つないで浜川崎経由で回送。尻手~運河間で旅客運転開始

このときの開業駅は塩浜・入江崎・水江・運河。ただし配線の都合上、水江線直通電車は浜川崎駅を通過する
なぜこの年に開業? という向きもあるかもしれないが、これは同年の川崎市電廃止による見返りという話がある。それ故に水江地区への従業員輸送という建前にもかかわらず、塩浜・入江崎の2駅が開業しているわけだ。とはいえこれまで川崎駅から直通でいけた塩浜・入江崎の両利用者が川崎へ出るのに八丁畷か尻手で乗り換えなくてはならない南武線ルートを使うかというと…ね? 市バスがボンガボンガ走ってるからそっち使うと思うんだけどね

1965年

味の素連絡線を活用し、京急の(新)小島新田~味の素分界点間0.2kmを開業。味の素分界点~塩浜間0.8kmは味の素専用線に乗り入れて、小島新田~塩浜間1.0kmで旅客営業開始。川崎市電廃止の見返りによる開業とされているが、浜川崎ルートよりは若干マシなこともあり、小島新田ルートが徐々に流動の主流となっていく
このとき、味の素の所有である分界点~塩浜間0.8kmの扱いがどうなるかという問題が発生するのだが、これは国鉄が同区間に乗り入れるという扱いとし、線路使用料を国鉄が支払うとした
運賃計算は通過連絡運輸の扱いとなり、小島新田および塩浜以遠相互発着の場合は、小島新田~分界点0.2kmと塩浜以遠のキロ程を合算した国鉄運賃と、味の素専用線0.8kmの運賃を合算した額とした
味の素専用線は専用線ゆえに当然運賃設定がないため0円。結果として徴収される運賃は国鉄分の3.5kmのみとなる
この対応について旅客営業規則第16条の7(現在は削除)に以下の一文が追加された

  • 第16条の7

    • 水江線味の素分界点・塩浜間相互発着となる旅客に対しては、乗車券類の発売を行わないものとする。

1969年

特定都区市内制度が横浜市に適用。鶴見線同様「横浜市内」に組み込まれる。小島新田駅は(味の素専用線を介しているため)ほかの国鉄路線と接続のないにもかかわらず「横浜市内の駅」となるが、旅客営業規則第16条7の根拠により、横浜市内の駅とされた

1973年

72系のアコモ改造車、モハ73970+クハ79970の2連×3本が水江線専用として投入。小島新田駅以外すべて無人駅に(車扱係員は水江・運河の各駅に常駐)

1976年

旅客の流れが小島新田主体となり、尻手~塩浜の運行は入出庫を兼ねた2往復のみに

1978年

塩浜駅構内に中原電車区塩浜派出所を設け、水江線用の電車はここで管理。尻手~塩浜間の旅客輸送を廃止して水江線全線が孤立路線に。特定都区市内制度の趣旨から孤立路線を横浜市内に組み込む理由がなくなったため、水江線全駅が特定都区市内制度の横浜市内から外される

そのかわり国鉄川崎駅と小島新田駅が通過連絡運輸の指定駅となり、川崎以遠と小島新田~運河間の各駅を利用する場合は運賃を通算する

1982年

モハ72970+クハ79970のうち1編成を105系と同等のシステムに機器更新し、クモハ105-601+クハ105-601に。川越線用103系3000番台改造への布石となった(らしい)。とりあえず問題なさそうなので残り2本も1985年までに機器更新、105系600番台×3編成となる

1984年

国鉄貨物の輸送形態の変化により東亜石油・出光興産を除く各社が鉄道貨物から撤退し、タンク車によるバルク輸送のみとなる。日本鋼管の鉄道貨物撤退に合わせて水江~運河間1.2km廃止。旅客輸送も小島新田~水江間3.1kmに縮小

1987年

旅客列車の運用本数が終日1本となったため、クモハ105-601+クハ105-601を仙石線宮城野電車区に転出。2編成体制で分割・民営化を迎える。民営化直前に塩浜駅廃止。ただし味の素専用線とJR東日本の財産上の分界点としての「塩浜」は残る
営業区間は小島新田~水江間3.1km、途中駅入江崎駅のみでJR東日本の路線となる。なお、何らかの理由で105系が2編成とも使えなくなった場合は、尻手~浜川崎間の101系2連が代走で入る。101系2連はMM編成で速いので、水江線を走る際はノッチ制限が必要だろうねえ

1988年

塩浜派出所廃止。中原電車区からの入出庫に戻り、線内での滞泊がなくなる。平日早朝に中原電車区から小島新田へ回送し、終日運用後再び中原電車区へ戻る運用となる。7月6日の改正で土休日の運転を取りやめ。平日のみ14往復に。南武支線と合わせてこのときワンマン化
ワンマン化により無人駅の入江崎・水江間相互発着の場合の取り扱いが問題になったが、入江崎駅では運転台直どのドアのみ扱い、小島新田発水江行きの電車では乗車時に運賃130円を徴収。水江発小島新田行きの電車では入江崎駅降車の際に運賃130円を徴収することになる。利用客の9割が定期券利用者の上、入江崎~水江相互利用の旅客なんてのは鉄道マニアくらいしかいないので可能な便法と言えよう
営業キロが3.1キロなのに入江崎・水江それぞれの駅からの運賃が同額なのは、味の素専用線0.8kmを差し引いた2.3kmがJRの運賃区分になるため。
小島新田(0.2km)味の素分界点[0.8km]塩浜(廃駅)(2.1km)水江

1992年

通過連絡運輸の廃止。表向きの理由は利用客のほとんどが京急利用で通過連絡運輸の利用実績がほとんどなくなったため。実の理由は水江駅の券売機を廃止して、小島新田駅から乗車の際は現金130円を改札で直接支払い、水江・入江崎駅から利用の場合は小島新田駅で降車の際に現金130円を払うという、「切符そのものを廃止する合理化政策」のため。利用客の9割が定期券利用なので(以下略

1997年

東亜石油・出光興産の貨物輸送廃止により旅客営業も合わせて廃止。旅客列車だけでも残してほしい旨を沿線の各企業に打診されたが、同時に東扇島~水江町のりんかい道路の拡張が発表され、線路用地を提供することを暗に要求されていたこと、平日朝夕のみの運行で収支も悪くはなかったが、だからと言って大儲けできるような路線でもなく、離れ小島の孤立路線という効率の悪さからJR東日本は営業廃止に合意した感じかな

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まあ俺の架鉄だ。路線の流れなんてこの程度でよかろう。ていうかこれ以上考える気もおきん

車両は1973年までは中原電車区所属の旧型電車いろいろ。1973年以降はモハ73970+クハ78970の2連3本。105系に改造後は仙石線転出編成以外冷房化されることなく1997年まで2連2本で推移
高運転台は1974年製造分からなので、モハ73970の運転台は低運転台。この時期103系には新製冷房車が登場しているけど、アコモ改造車に冷房なんざ載せなるわけがない。当然非冷房
ほかの73系と併結しないならブレーキも電直でいいじゃんっておもったんだけど、AERで別に不便はないよな(つか2両つなぎだから電磁弁の必要性すら疑問だ)、ってことでSELDにするのは105系化の時でいいや
ただ、MGに関してはいまさら直流蛍光灯でもないので、交流100V対応の物に吊り替えるべきでしょう。てーことはほかの73系どころか初期アコモ改造車のモハ72970とも連結できねえじゃん。まあいいか
台車はまあ、DT20とTR47でいいよね?

個人的にはE131系が孤立路線を走る姿を作ってみたかったんだけど、自分の中でやはり1997年廃止は譲れなかった。とはいえまあ、国鉄の車両史の中にするりするりとアコモ改造車を紛れ込ませる遊びはできそうなのでそこはそれ

旧型電車のアコモ改造車って国鉄の中では割とあだ花的な歴史じゃないですか。そこをどれだけ無理なくデタラメにこの路線に落とし込めるかが、俺の腕の見せ所になるのかなって気がします

ちなみに路線も歴史も今回の架鉄の起点ではありません。俺の頭の中に浮かんだ「モハ73970+クハ79970」をどこに走らせるか、が起点です

歴史や路線については徹底的に無視する方針は変わりませんのであしからず

あと、国鉄なんですが例によって「赤い電車」だと思いますよ?