考えたら負けです

 俺は自分の考える架空鉄道では「なるべく自分の感性を排除する」ことを第一義としています。なぜなら、俺はその世界にいない、つまり俺の考えが入る余地などその世界にはないためです
 

20年くらい前に作った架空のアプト式機関車。いかにも大井川鐵道ED90形を参考にしましたよ、って形状なのですがこの車両がなぜこういう形をしているのかという理由がわかりません。それでは俺の中で「架空車両」としてはダメなのです

 では車両を作る際に俺はどうしているのかというと、まず路線全体のイメージと場所を決めます。こうすることでどんな曲線半径、勾配、許容軸重などが決まってきますので、車両の骨格が自然と決まります。そしてその土地の歴史を考えれば、どんな銀行・企業と取引があるかもおおむね決まってきます。こと日本においては企業の横のつながりで取引が決まっていくので、企業グループのつながりでどこの車両メーカー・電装メーカーとつながるかも自然と決まっていきます
 前回制作した彦島電鉄は、名鉄傘下ということで車両メーカーは日本車両、電装は東洋電機と自然と決まりました。これがたとえば新潟県の第三セクター鉄道なら車体は新潟トランシスに依頼するでしょう。三セクは「地縁」を重視して地元企業に発注するということをしばしばやるからです
 ですから例えば栃木県の鉄道なら(今は車両製作をしていませんが)富士重工に車両を発注するというのは自然です。これをあえて新潟トランシスに発注するならそこに何らかの「ドラマ」が生まれて架空鉄道に深みを付けるでしょう。これが車両メーカー・電装メーカーを決める面白さです。「俺様重工」ではこれができないのです
 ある程度歴史のある中小民鉄なら、自社発注車のメーカーを一社に絞るのは自然です。逆に公営交通なら入札のたびに車両メーカーが変わってスタイリングにまとまりがなくなるほうが却ってそれらしいということもあります。生まれと育ちで車両メーカーと電装メーカーを決める。そうすることで車両のスタイルと性能は自然と決まります

典型的な日車顔の京王9000系。おでこの曲面にパノラミックウィンド。全体的にRを落とした緩い表情。側面は側面で分厚い幕板。まさに「ザ・日車」という感じがたまりません
阪神1000系の近車臭さは癖になります。正面窓をリフトアップできなかったので車体裾やテールランプをリフトアップするあたりがもう近車の手癖ですね。外連味がすごい

 なぜ車両メーカーが決まるとスタイルが決まるのか。鉄道車両は人間が作っていますので、当然車両のスタイルにも手癖が生まれます。日本車両であれば正面の丸いおでこ、近畿車両ならちょっとフェイスアップしがちな正面窓など、「手癖」と思われる造作がいくつもあります。架空車両を考える際はそんな車両メーカーの手癖をしっかりと認識してスタイルを決める。こうすることで「製作者が完全に観察者となる架空車両」ができるわけです
 自分の感性が一切入らない架空車両。ゾクゾクします。それを「創作」といってよいかどうかは意見の分かれるところかもしれませんが、俺は自分の感性なんてくだらないものだと思って一切信用していません。それにどんなに自分の感覚を排除したところで、どうしたって架空車両には自分の手癖・感性が入り込みます。なので、徹底的に排除するくらいでちょうどいいんですよ
 だって、架空鉄道を作っているのも人間なんですから