コロナで考えた、毒にも薬にもならない「情報」との付き合い方
コロナウイルス。
連日連夜手を変え品を変え流れてくる情報に、もはや皆様お腹いっぱいではないでしょうか。
そんな中、情報のまとめでもなく
子供の暇を解消するツールの紹介でもなく
マスクの作り方でもない、毒にも薬にもならない感じたことを書きます。
メディアをみると
インフルと比べた感染率
コロナの方が高いという意見と低いという意見
インフルと比べた死亡率
コロナの方が高いという意見と低いという意見
飛行機内は危険(空気がこもっているから)という意見と
機内は安心(ずっと空気を入れ替えているから)という意見
情報が錯綜するタイミングは過ぎたかと思いきや
まだまだ上記のような二極の情報がそれぞれ「信頼できる情報」としてあちこちで現れ、まとめられ、拡散される昨今。
もはや真実というものはないのではと嘆きたくもなりますが、
ここで大事なのは
きっとどれもある観点からは正解で、別な観点から見たら正解ではない(「間違い」と「正解ではない」には隔たりがあると考えるタイプです)のだと思います。
そこで、
ペシミストは悲観的な意見を信じ
オプティミストは楽観的な意見を信じる
つまりは無意識に自分が信じたいものを信じてしまうパターン
あるいは、もはや何も信じない!という厭世家パターン
あるいは、自分の目で見たものだけ信じるという井の中の蛙パターン
などが発生するのだと思います。
友人や同僚と話していても、温度感が違うことがままあります。
ちなみに、私は基本的に楽観主義ですが、何より自分が体験して腹落ちしたことだけが自分にとっての正解だと考えています。
そんな私が情報を受け取ったときに気を付けているのは、「どう決着つけたいための情報なのか」です。
商品を買わせたいとか
買い貯めしないでほしいとか
家から出させたくないとか
感謝されたいとか
同情してほしいとか
そういう、それぞれが思い描くゴールが必ずあります。
そことセットで考えないと、自分の脳内に格納する情報の重み付けがうまくいかないと感じています。
ちなみに、TV等のメディアにも上記のようなゴールがある場合が多いですが、それがどうにも見つからないものもあって、きっとそれらの媒体が扱う情報というのは真実を伝えるのではなく『状況』を伝えるもので、『あっちの意見(状況)』も『こっちの意見(状況)』も『情報』というくくりで流れてくるのではないでしょうか。
情報社会の波。
上手に漕いでいきたいです。
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