親父が死んだ④

今回の急性増悪は予想以上に深刻でした。

特発性間質性肺炎はいつまで持つのかが分かり辛い。

担当医の言葉も歯切れの悪い事ばかり。

後どのくらいと聞いても分からないですと言われるだけ。

その為、余命はひと月単位ではないと思われていた。

普段は面会は殆んど出来ない方針の病院でも、面会はゆるされた。

治療らしい治療はされておらず、ただ、プレドニンを服用し、酸素の量が増えただけ。

一分間に6㍑もの酸素。

普通の人なら酸素過多で窒息します。

そんな環境でしか父は息も出来ないのです。

それだけ肺が機能しておらず、少しの肺で何とか酸素を取り込んで生きています。

その姿はかつての元気な姿の父とは掛け離れていました。

母は普通にガンとかの方がまだよかったと嘆くばかり。

それもそうでしょう。

寝たきりになってしまい、外にすら出れない状態になってしまいましたから。

担当医は介護認定を変えてもらってくださいと言ってきた。

帰りに役所に寄っていき、母を伴って介護認定の変更を申請しました。

今度は病院にしっかりと立ち会って受けることに。

ほんの2~3日で認定員が来ました。

その間は父の体調は変わらず余談を許さない状態。

認定員はすぐに、寝たきりですねと言ってその場を離れていきました。

認定は要介護5。

一番重い認定でした。

しかし、入院している限り介護保険の適用はなく、治療だけ続けるだけのもどかしい日々。

入院当時よりも少しよくなり、状態が安定しましたが、依然として予断を許さない状態は続きました。

その後は次回

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