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リハビリ 2024-03-22

こんばんは、Dariemonです。
ダリが好きな衛門なので、Dariemonと言います。

はじめに


なぜ数年休止していたブログを突如書こうと思い立ったかと言いますと、以前にも増してことさら、頭の中で言葉が迸っては新たな言葉にかき消され、絶え間なく自分の思考と諍っている感覚がどうにも苦しく、どうかこの病から解消される術はないかと思い立ち、言葉を無理矢理にでも紡ぐほかないと考えたわけです。

また、これも最近顕著な話ですが、人と話していると明らかに「言葉を発せない・発した割に面白くない」という人間性の露呈が顕著で、このまま社会に私が放り出された場合「無口かと思えば、突然早口の高い声でいきなり自分の意見を捲し立てるクソキモいインキャ女」というレッテルを即座に貼られ(そもそもこの文字列に"早口"が滲んでいるのですが……)内定先に馴染めず、ものの数ヶ月で無職、廃人という未来が視えてしまいました。
瞬時のコミュニケーションは無理でも、せめて時間をかけることの出来る、文字を介したコミュニケーションは武器にしておきたいとも思いますし、ここで自分らしい言葉を醸成しておきたい。
自分との対話が出来ない人が、他人と対話出来るわけないだろ!ということで、就活真っ只中ながら自分と向き合う時間を取り、コミュ強になり、就活も成功してしまおうという算段です。実に素晴らしい。

私は言葉が好きです。言葉が連なって生み出されるコンテクストも好きです。
それと同時に、言葉には表すことの出来ない何かが好きです。それは空間かもしれないし、音かもしれないし、時間かもしれない。
言葉と向き合うこの数十分の中で、私がアップロードするに至ったセンテンス、デリートキーに指をかけた言葉、その間に聞いていた音楽、その時どんな場所にいたのか、どんな思いを抱いていたのか。
それらを閉じ込め、書き手はその思い出を慈しみ、受け手に想像させることができる。
特に日記やブログにはそういう魅力があると思います。今弱っているからこそ、その魅力にあやからせてください!

齢22にしては拙くて、とめどない文章かもしれませんが、精一杯紡ぎたいと思います。
更新は不定期です。(これが最後の可能性を多分に有しています)

というのは建前で、最近就活で「ブログ書くのが趣味で〜笑」とほざいたところ、「じゃあ見せて?」と言われて無事死亡したので実績作りのために書いています。

みんなは就活で嘘をつくの、やめようね!


北海道演奏旅行の話

さて、前置きはこのくらいにして最近の出来事でも話しましょうか。
先日、一週間ほど北海道で演奏旅行に赴いておりました。ショスタコーヴィチのレニングラードという楽曲を、短くはない我がオーボエ人生史上初めて演奏してまいりました。
正直最初は全く良さが分からず「長い」「うざい」「しつこい」の三拍子を連呼して、タコファンからは大層顰蹙を買っていたかと思いますが、存外向き合ってみると本当に良い曲でした。

私はこの曲でイングリッシュ・ホルンという楽器を担当しておりました。(上記動画31:35~頃から登場する、ちょっと縦長の楽器です)
レニグラ好きなら、アングレソロが何分頃にあるかで指揮者の演奏の遅い速いが判断できそうですね。

幸か不幸か就職活動真っ只中での参戦ということもあり、自分の出番があるのはこのレニグラ1曲のみでした。
オーケストラの演奏会は基本的に前・中・メインという3つのプログラムに分かれておりまして、この曲はメインに該当します。他の人達は残りの2曲にも参加していることが多かったので、合宿中に周りより休みが倍あったという訳です。
休んでいる間は昼寝半分、就活関連の要件半分といった感じで、合間に説明会や座談会へ参加したり、ESを書いたりしつつ、連日摂取したアルコールに恨み言を唱えて、唯一の見せ場であるソロや、難しくて本番吹くのをほとんど諦めた連符の練習などをほどほどにこなしておりました。

今回の合宿で最大のイベントは間違いなく飲み会だったと思います。
私のことをよく知っている人は、「飲み会が得意じゃない」「飲み会を盛り上げたい」という二つの性質を併せ持っている…♡ことをご存知かと思いますが(そうなの?)、今回も例に漏れず、飲み会を盛り上げようという気概は大きく空振りしつつも、飲みモチベの高い方々のお陰で連日楽しい会が催されていました。

と言いつつも、弊学出身は飲みサー・オーランサークルの巣窟ということもあり「コールしろ!」「おい阿婆擦れ!(公序良俗に反するためぼやかしています)」「気合いたんねえぞ!」など、初対面の方々から様々な叱咤激励をいただきました。
今後は皆様の期待に応えるべく、令和ロマンのYouTubeで「飲んでゴーコール」などを履修させていただき、披露出来るように研鑽を積んでいきたい所存です。

思えば、大学入りたての頃は「気位が高そう」「高慢ちき」「(良し悪しはさておき)高嶺の花」という印象を抱かれることが多かったのですが、一体なぜこうも泥に塗れてしまったのか。
コールの飛び交うオーランサークルの飲み会を忌み嫌う一方で、他大との交流の場においては大学に準拠したキャラクター像を確立しているのはなんとも滑稽な話です。
無理矢理にでも自分の品位を落とすことでしか、周囲と人間性を合わせることが出来ない不器用なソリューションは、まさしく「タワマン文学」的で、コミュニティに染まりきれない私の要領の悪さを体現しています。

中高の同期を見渡してみると各々「品位」を保ったまま、飲み会や様々なアクティビティを楽しんでいるように映ります。
私に足りないのは「品位」だと、最近知人に言われました。
大学一年生の頃からすると、にわかに信じがたい話です。お嬢様だと、育ちが良いと持て囃されていた私はどこへ行ったのでしょうか。

でも、本当に私に足りていないのは「品位」ではなく「自分らしさ」です。
地方の大学生が東京の私立大学生に向ける、偏見や侮蔑の目から守るべき「自分らしさ」。
本当はアイデンティティとして存在していたはずの、私の奥ゆかしさやたおやかさは、コミュニティに蔓延る酒気にあてられて無くなってしまい、本当に頭も中身も空っぽで、所謂世間から馬鹿にされるような私大の学生となんら変わらなくなってしまった。

都会の抜け殻になって初めて分かります。
あんなに忌み嫌っていた居酒屋のお手洗いにある貼り紙は、アイデンティティを失った私たちへの手向けなのだと。

コミュニティの煌びやかさを形成しているのは、私たちの砕かれたアイデンティティ。
居酒屋・ダンススタジオ・レンタカーの床に散らばった、踏まれて踏まれて粒子のように小さくなってしまった破片に、どうか目を向けないで。


あいにくあんたのためじゃない


最近コミカライズを良くTwitterで見かけていて、ラーメンとジェンダーを扱うだなんてなんとも賛否が分かれそうだと思った。
作者を見た。

「柚木麻子」

やっぱりお前か……。

思えば、食べ物とジェンダーを扱う作品は、私の少ない読書範囲においては柚木麻子と千早茜とで双璧をなしている。
柚木麻子の文章は彼女のTwitterを見れば分かるとおり(今消してるかも)基本的にエネルギッシュで、食が絡んでくるとなれば尚更「これを食べて元気になった!」みたいな物語が多い印象だ。
対して千早茜は、なんとも線の細そうな雰囲気が見て取れる、繊細で消極的で、実に美しい物語を書いているイメージがある。
どちらの作者も本当に好きで、高校生の頃に柚木麻子の作品はあらかた買ったし、千早茜作品は中高の友人に面白いと教わって以来収集している。

というわけでそこそこ柚木麻子に造詣があり、ラーメンも吉村家をはじめとした横浜家系を筆頭にそこそこ愛している私にとって、TwitterのTLで『あいにくあんたのためじゃない』と出会うことは必然だった。

ということで、こちらから試し読みできるようなのでぜひチェックしてみてください。

先日の飲み会を受けて、私は自分に貼られるレッテルというものにもう少し真剣に向き合う必要があると痛感した。
というより、レッテルを弾く強靭な精神と、それを罷り通す正当で納得のいく「自分らしさ」を手に入れることが急務である。

『あいにくあんたのためじゃない』では、過去のブログ記事が炎上したことを受け、ほぼフリーターとして生活している冴えない中年男性が主人公の作品が収録されている。
彼の偏見に満ちた所謂前時代的なブログによって、周囲の客や店員は無差別に傷つけられた。
彼によって人生を滅茶苦茶にされた人達はやがて、ある計画を思いつく。

この続きはぜひ読んでみてください、短編なのでさらっと読めると思います。

「悪口」は、コミュニティの活性化に大いに役立つ。

「弱者男性」というカテゴリーに、異性慣れしていない・垢抜けていない人間を閉じ込めて、なじることは容易い。
「港区女子」と、夜職やそれに近しい女性を一緒くたにして、彼女達が性を売るに至った理由も厭わず一方的に叩くことだって、難しいことじゃない。

私たちは、メガベンチャーに就職した視座の高い学生を「意識高い系」と揶揄したその口で、簡単に「JTCに未来はない」と唱えるし、VTuberにスーパーチャットを投げる人を小馬鹿にする傍らで、嫌いな配信者の失言叩きに余念がない。

「悪口」を言っている時は、どこかの誰かと同じコミュニティにいられる。
コミュニティ内での「悪口」は、ちょっとした秘密の共有として、それを聞いた人達の間で結束力が強まる。
つまるところ、コミュニティを活性化させるための劇薬として大変有用なのだ。

だからこそ、そこに迎合してはいけないはずなのだ。
「阿婆擦れ」と言われて不愉快だった。
「肩幅広いブス」と影でなじられて悔しかった。
「努力してる自分に酔ってるだけ」という言葉に涙が止まらなかった。

社会に迎合するための手段も、生まれ持った骨格も、私が頑張っていることも、何一つあんたがコミュニティで生存するために用いられるべきでない。私はあんたとは違う武器で、闘っていくよ。

というわけで『あいにくあんたのためじゃない』早く手に取りたいと思います。

結局ただのブログなのに100分くらいかかってしまった、自分の思考整理というのは難しいですね。

また気が向いたら書こうと思います、それではさようなら。


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