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研究の端しっこで[発話と推論]

コミュニケーションが上手くいかない場合、発話に問題があるよりも心情だったり発話意図に問題があることがほとんどだ。

人が何かを伝えるとき、そこには「伝達の内容」と「伝達達成のプロセス」が関わる。

そのため、伝達には発話者の意図や効力があると考えられ、聞き手はその伝達(発話内容)をコンテキストに依存しながら推論していく。

例えば、「コーヒーを飲みに行きましょう」という発話があったとする。それを聞いた人の思考は以下のようになる。
a. その発話の意図は話し手がコーヒー好きであることを表している。
b. その発話の意図は聞き手がコーヒー好きであることを知っていることを表している。
c. その発話の意図は話し手が眠たいことを示唆している。
d. その発話の意図は話し手が聞き手をデートに誘っている。…etc.

このように、場面が変われば、同じ発話でも受け方が変わるのだ。

では、例えば、時空間の違うテキストメッセージにおける発話と推論はどのようになるだろうか。

双方の認知環境が異なれば、どうしても受け手のコンテキストに依存して推論することになるだろう。そこでは、どうしても話し手の発話意図が見えず、認知環境の相互性が減少するのではないだろうか。

研究とは違う話になるが、わたしは数年前の後悔が消えない。時空間の違うやりとりでは、心情を読み取る能力に欠けてしまう。

だから、先人たちは「会えるうちに会え」とよく口にするのだろうか。

コロナ禍ももう3年目になるが、まだまだそれぞれがコミュニケーションの取り方を模索するだろう。
研究の端しっこで。

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