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”まさか”の自分

あっという間に梅雨入りした地域のニュースを見ながら、うちも最近、雨ばっかりだし、そろそろかあと思っていたのはどこへやら、もう夏が来たのかと思うような晴天が続いている。このまま梅雨に入ることなく夏になっちゃうのかなと思っていたら、なんと、平年の梅雨入りは6月中旬だったことを知る。

平年でいけばまだ梅雨入りしなくても当たり前、だったのね。

とは言え、もう夏になっちゃったかと思うような天気が続いていると、やっぱりあれーと思っちゃうもので。梅をとらないといけないのに、今年は見てみぬふりをしてしまってるし。明日が新月だから、明後日にしよう、というのが今日までの心の言い訳だ。宇宙船に乗ってしまったような感覚で5月が終わり、6月も1/3が過ぎ、やっと少しだけ調子が戻ってきたろうか、という今日。しかし、いいお天気なー。

ワンコを預けて3日が経った。傷心の父はまだワンコの話をしたがらない。朝と夕方の散歩は基本的に父の役割で、自転車のカゴに乗せて田んぼを見にいって、帰りは二人で歩いてくるというのがコースだったから、仕事から帰る車の中がイチバンツライ、と母に言ったそうな。

チチヨ。

ワンコ、預けただけで元気だけど。

たまには会いに行けるけど。

そこまで悲しむ必要はないと思うけれど。さ。

今、目の前にいないことが全て、寂しい、という気持ちは抑えようがないみたい。素直に寂しいと言っている父を見ると、年を取ったね、と茶化す気にもならず、その寂しさを大事にしてよ、と思う。だって、ワンコがいなかったら、その寂しさはスルーしてたものかもしれないし、素直に自分の気持ちを口にできる今、は、父にとってワンコがくれた特別な時間だ。自分でも思わなかった自分。だってこんなの、初めてなんだから。

祖母が亡くなり、ワンコをよそに預けることになり、急転直下の怒涛の展開の中で、想像したこともなかった『まさかの自分』に出会う驚きの日々を、それぞれに体感している我が家の家族。父のことを笑えないのは、みんな一緒で、空いた時間で祖母の部屋の片づけなんかもしているものだから、おセンチなニュアンスが家中に蔓延してる。

日曜日、少し遠出をしてワンコを預けに行った帰り道、父が青空を見ながら『お盆の終わりみたいな空だなあ』と言った。ちょうど私も同じことを思っていて、まだ6月のはじめなのに不思議だなと思ったことを思い出す。まるで夏休みの終わりみたいだと、みんなで話した。

子どもは夏に一気に成長する。

夏が終わると別人になってるんだけど、私たちもあの日、ひと夏を超えたと思ってもいいのかも。そしてこの寂しさは、夏の終わりの寂しさなのかも。

昨日は夜のごはんを食べなかったというワンコ。自分のポジションを計っている最中らしい。子どもも先輩犬もいて、エネルギーに溢れた家だから、少しくらいごはんを食べなくても大丈夫だろうと思っているけれど、君も同じように夏を越えて、クールダウンしてる最中ということか。もしかして君も、まさかの自分を体験している最中かい?

6月がひとつの山場でスタートになるのか。いつ梅雨入りするかなーと思いながら、踏ん張っていきましょう。仕事も忙しくなるし、BGMは佐藤千亜妃の『カタワレ』でお願い。

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