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そして結果は、仮の見立てのその通り

前回の続き。

穏やかな週末があけて月曜日。車で40分の大きな病院に祖母を連れていく。詳細を割愛して結果だけを書くと、祖母の症状の原因は膵臓にできた大きめの腫瘍で、それが胆管を圧迫しており、現状では黄疸をとめるための内視鏡によるステント手術が最初の治療になるとのことだった。担当医は穏やかで優しく、希望があればすぐに入院、治療も可能だと言われたが、持ち返って本人と相談することにする。

結局、薬のひとつも処方されることなく、私たちは帰宅した。かかりつけ医のところで血液検査の結果が出る前に息子氏に聞いた、仮の見立てそのままの治療法だ。ステント手術はあくまで応急処置で、病気の進行を抑えようと思うと、膵臓と十二指腸を切除する手術が必要だという。祖母の場合は発症してからの進行も急激で、糖尿の数値も高いし、いつ意識が混濁したり、高熱が出たりしてもおかしくないような状態、ということらしい。祖母は95歳なので積極的な治療は望んでいないけれど、若い人なら今後どうしていきたいか、かなり悩ましい病状だ。

この時点で私たちは、ステント手術をすれば黄疸が止まり、足の浮腫みが引くのだろうと考えていた。私は2週間の入院に祖母が耐えられない(①痴呆の症状が出る ②運動不足で歩けなくなる ③末っ子気質なのでコロナでお見舞いにも行けない今の状態での入院生活はきつかろう)と思っていたけれど、母は入院について考えているようだった。

これまで掃除や洗濯など、身の回りのことはほぼ自分でやって杖も使わずに歩いていた祖母にとって、自分で動けなくなることはショックが大きいはずだから、本人が治す気になって入院して出てこられれば、少しでも歩ける時間が長くなり、今後、出てくるであろう掻痒や痛みを緩和することができるのではないかと考えていたからだ。

母は、祖母とは違う意味で気の強い人で、泣いているところもほぼ見たことがない。仲が悪いわけではないけれど、4人姉妹の次女で家を継いだ母娘の関係としては相いれないこともあり、ドライな性格だと自己申告していたこともあってもっと割り切った感覚でいるのだと思ってきたのだが、そうではなかったことに、この日、私は気がついた。

血管が細くて採血が終わらない祖母を見ながら、母は涙をこぼしていた。祖母は若い頃から血管が細く、年をとってからは採血を諦めたこともあったくらい時間がかかるので、点滴するようになったら終わりだね、なんて言い合っていたのに、何度も針をさされても嫌な顔もせずに腕を出している祖母を見て、母は泣いていた。

私は大変だなあくらいにしか思っていなかったので、そんな母の姿に衝撃を受けた。親子って不思議なもので、それは分かっているつもりでいたけれど、それぞれの人たちにそれぞれの関係があって、他人はもちろん、もしかしたら自分にだってその本心が分かることはないものなのかもしれない。母と祖母の間で私にできることはなんでもやろうと決めていたけれど、この時、私は今回、自分にできることは不足を埋めることではなく、できるだけ二人の邪魔をしない、ということかもしれないと思い始めていた。

続く。

※これは祖母とのことを通じて気がついたこと、学んだことの超個人的記録ですので、悪しからず

#ひとまず日記 #学んだこと記録


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