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いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。(ルカによる福音書2章14節)

私の現在の勤務校である聖霊女子短期大学付属高等学校では、毎日の朝礼時に全校放送の中で聖句が読まれます。その聖句は概ね2週間に1回替わることになっていますが、そのタイミングに合わせて、本校では教員や生徒が替わったばかりの聖句を全校放送の場で「解説」する、という伝統があります。また、その「解説」を踏まえて、各クラスの担任がさらに生徒に向けてその聖句について話をする、という伝統もあります。以下の文章は、去る11月25日(金)に、私(笹瀬聖人)が朝礼で聖句を「解説」したものです。

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いと高きところには栄光、神にあれ。
地には平和、御心に適う人にあれ。
(ルカによる福音書2章14節)

この聖句は、イエスが生まれたことを、天使たちが羊飼いに告げ知らせる時に神への賛美として言った言葉です。クリスマスの季節に読まれることの多い、定番の聖句です。

この聖句は、イエスがどのようなお方であるのかをよく示しています。イエスは、父なる神の栄光、言い換えると、父なる神のすばらしさ、を人間に教えてきた存在です。また、イエスは、この世界に平和、つまり人間が互いに愛し合うこと、をもたらしている存在です。

それではまず、神のすばらしさとはどういうことでしょうか。それは、神が人間一人ひとりを限りなく愛している、つまり大切にしているということです。それはたとえ、どんな状況であったとしても、です。どれだけ多くの重い罪を犯していようが、どれだけ差別されていようが、どれだけ心が病んでつらい状況にあろうが、神の愛を求める人間に、神は答えてくださいます。このような神の愛を、イエスは、ある時は説教で、ある時はたとえ話で、人々に教えました。

次に、互いに愛し合う、言い換えればお互いを大切にし合う、ということとはどういうことでしょうか。それは、分裂を乗り越えようとすることです。イエスは病気や障害を抱えている人を多く癒しましたが、病気や障害を抱えた彼らは社会の中で差別されていた人々です。イエスは神の身でありながら、あえてそういった人々のところへ行き、言葉を交わし、癒したのです。そして、イエスの生き方にならった初代教会の信者たちは、民族や身分、男女の差を乗り越えて互いに愛し合おうとしていました。
このような、父なる神の栄光を、また平和を、イエスは人間に示してきました。

この聖句を読むたびに、私たちは問われています。イエスの生き方を通して私たちは、神の栄光を知りたいのか、またこの世界にもたらされつつある平和を神と共に実現していきたいのか、と。私たちが生きている日常の中で、自分のせいではないのに苦しんでいる人の姿を見れば、神のすばらしさは実感できないかもしれません。互いに愛し合うことなど、今起こっている戦争を見れば、現実から遠くかけ離れたものだと感じざるを得ないかもしれません。しかしもし、神のすばらしさが本当になかったならば、誰からも愛されていないと思う人間がどれだけ増えるでしょうか。互いに愛し合うことが完全になかったならば、今以上にどれだけ生きづらい世の中になることでしょうか。神の栄光は、またこの世界の平和は、私たちに必要なのです。

私は皆さんに、イエスの生き方を知ることを通して、日常生活の中で考えてほしいと思っています。神のすばらしさとはどういうことか。互いに愛し合うこととはどういうことか。そして皆さんが、様々な形で、神のすばらしさを広め、互いに愛し合うことを広める人になって欲しいと思っています。

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聖句の「解説」の準備は、あれも話したい、これも話したいと思ってしまう私にとって、非常に忍耐を必要としました。しかし同時に、神様のメッセージに素直に従うことの喜びを感じさせてもくれました。今では、聖句の「解説」ができたことに、とても感謝しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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