住所不定探偵 3/5

サミーズバーガー 176号線店

俺がサミーズのバックヤードに入るとそこにテルコがいた。

「与兵衛さんどこでケガしたんですかそれ!」

テルコは俺を見るなり大声を出し、俺が「階段で転んで…」などと言うのも聞かず、重そうなハンドバッグから消毒液、真綿、ピンセット、はさみ、ガーゼ、テープ、絆創膏を取り出し、手当てを始めた。テルコは俺の腫れ上がったまぶたを押さえながら言う。
「モナミのこと、聞きました。いきなりですよね。昨日まで普通にいたのに」
俺が黙っていると彼女は涙ぐみ、一方的に話しだした。

「昨日も普段どおりだったんですよ、モナミ。なんにも悪いことしないし、どこにも遊びに行ってない。普通に大学とバイトを頑張ってたのに。死んじゃうなんてショックでなんかよくわかんないですよ。モナミが死んだのに店が営業してるのも意味わかんなくてキツイです。今日シフト入ってる子たちは多分みんな聞いて知ってると思いますけど、まだモナミが生きててバイトしてるって思ってる子もいるわけじゃないですか。お通夜とか葬式の段取り聞きました?そういうのの連絡とかしたほうがいいのかな…」

「そういうのは別にもっと仲いい友達とか親に任せときゃいいんだよ」

俺がそう言うとテルコの手に一瞬力が入ったかと思ったが「そうですよね」とすぐにガーゼを切り出した。

「与兵衛さんは大丈夫なんですか?だってモナミと一緒に住んでたって聞きましたよ」
「厳密には一緒に住んでいたわけではないな」
「まあ、与兵衛さんにそういう事聞くのが間違いでした。どっちにしても、距離の近いところにいたんでしょ?」
「まあね」
「なんというか…お疲れ様です」

テルコは治療を終え、俺は厨房に向かった。

俺は厨房で肉を焼きながら一体誰がモナミを殺したのかを考えていた。テルコが言うには恨みを買ってるわけでもなさそうだし、危ないところに出入りしていた様子もない。毎朝9時には家を出て大学に行き、バイトを経由し、あまり遅くならないうちに帰ってきて寝るだけの生活。俺の存在が彼女になにか影響しているとも思えない。
シフトの奴らは俺の腫れ上がった顔を見るなりぎょっとして「大丈夫ですか…?」とか言う。その後モナミの死をどこからともなく聞きつけ、俺の顔の傷とモナミの死の関係性を訝しんだり気の毒に思ったりしていた。いつもは腫れ物にさわるような扱いのくせに、今日は誰もが俺に気を使っているような気がした。

俺がシフトを終える頃になっても店長は現れなかった。こういうことはよくある。店長が時間どおり現れない場合はだいたい後に予定がないやつがシフトを渋々引き継ぐ。
店長は俺が顔を傷だらけにして肉を焼いていると知ったら激怒するだろう。店長はバイトが怪我をしたり病気をしていたりすると必ず休ませた。そのかわり、バイトのシフトは自分で埋めさせた。誰かに連絡するなりして、自分で説明して。それが連帯責任ってもんだし、社会人としての常識だよ。そういうところが守れないとどこに行ってもなにもできないよ。組織にいさせてほしかったら組織のためになることをしなくちゃ。店長はいつもそう言っていた。俺は店長の言っている意味が一つも理解できなかった。俺に仮眠室を使わせたくないのも、なにか店長なりの理屈があるらしかったが、それがどういうものだったかは憶えていない。

俺はシフトを終え、タイムカードを押す。それから肉を一枚焼き、適当に塩コショウを振って、トーストしていないパンに適当にはさみ、齧りながら厨房を後にした。包み紙がないので手に肉汁が垂れる。それを制服にこすりつけ、バックヤードに戻った。

着替えを終えると急に眠気に襲われた。長い一日だったような気もする。早く帰って寝てしまいたい。あ、そうか。モナミのアパートは警察に封鎖されているから俺にはテントも寝袋もない。まあ、仮眠室で寝ればいいか。

「お前の本来の寝床の、一つ隣にゆけ」

俺は神の言葉を思い出した。仮眠室の隣には掃除用具を入れる倉庫があった。倉庫の扉を開け、モップやバケツをどかすと人ひとり分くらいの隙間はできた。俺はそこに膝を抱えて収まる。内側から扉を閉めると完全な暗闇になった。モップが顔に触れているような気がした。

裸の死体、警察、ホコリだらけの床、ワンカップ大関、神、テルコ…今日一日のことを思い出していると気が遠くなった。倉庫には隙間風が吹き込み底冷えしたが、気にならない程度だった。

何か機械が唸るような音がして俺は目を覚ました。耳を澄ますとそれは不規則であり、機械なんかではなく女の嬌声だった。俺はゆっくり倉庫から出て、仮眠室を扉から覗き込む。そこでテルコと店長がセックスをしていた。

セックスなのか?セックスには違いなかった。テルコの表情は苦痛に歪み、顔に血の気はなく、体中を脂汗で覆われていた。喘ぎ声というよりは獣の鳴き声だ。店長は目の焦点がどこにも合わず、口が半開きになっている。本能に任せて腰を動かしているが、そこにテルコは介在しているようには見えなかった。なんだこいつら、クスリでもやってんのか?

俺が不健康なセックスにあっけを取られていると、テルコはこちらに気づく。「扉!閉めて!見ないで!」言いつつも腰は止まらない。店長は俺に気づいているようすはなく、肉を叩きつけるのに没頭している。俺は扉を開けて仮眠室に押し入り、店長をドクターマーチンで蹴り飛ばした。人形を蹴ったみたいだった。店長は仮眠室の薄い壁を頭で突き破った。テルコは起き上がろうとするが腰が抜けている。

テルコは「違うの!これは…」と言う後ろで店長は壁から頭を引き抜き、こちらを向いた。店長は自分が頭から出血していることに気づいていないようだった。体はだらりと弛緩しているが筋肉は固く緊張しているように見える。拳は強く握りすぎているのか血が滲んている。目はどこを見ているかわからない。テルコが半狂乱になって俺の足にしがみつくと同時に、店長は跳ね、俺の腹に重いボディブローを入れる。体重の乗ったボディブローは俺をバックヤードの個人ロッカーに叩きつける。店長の拳は皮が剥がれ、赤い肉が露出していた。痛みを感じていないようだった。俺が起き上がる最中にテルコは店長にしがみつき落ち着くよう懇願したが、片手ではねのけられていた。

店長が再度こちらに向かって勢いをつけて迫る。俺はそれに合わせて後ろ向きに回し蹴りをする。ドクターマーチンのソールが店長の顎をわずかに揺らすと、店長の頭は見たことのない角度に回り、そのまま気を失って痙攣を初めた。

テルコが仮眠室を出て店長が痙攣しているのを見て悲鳴をあげる。
「なにこれ!ヤバくない!?」
「いや…多分脳震盪とかだから大丈夫…。知らんけど」
「イヤ!無理!店長!」

俺は洗面所に向かい、蛇口でコップに水を注ぐ。それをテルコに浴びせると彼女はおとなしくなった。服を着るように促す。俺は痙攣がおさまった店長を後ろ手に縛る。

店長のケータイを開き、通話履歴を見る。テルコが一番頭にあり、その次にサミーズ日本支社 染屋崎、続いてモナミの番号があった。それからマナモ、カエリ、ノルコ、ラオリ、マアサと並ぶ。それからは、テルコ、モナミ、マナモ、カオリ、ノルコ、ラオリ、マアサ、と繰り返していた。

俺はケータイを閉じ、リーバイスのポケットに入れる。一応財布も失敬する。

俺がシフト編成や搬入予定に使うパソコンをいじっていると、テルコが服を着て出てきた。顔はまだ青白いが、シラフに見えた。

「違うんです。みんなやってたんですよ。しょうがないですよ。マナモもカエリもノルコもラオリも、みんな店長に口説かれて…。だって、店長に誘われたら断れなくないですか?店長のメンツもあるし…」

「やってたのはセックスだけじゃないだろ」

俺はパソコンの記録から搬入が数箇所合っていないことに気づき、食品倉庫に向かう。数字がおかしかった塩コショウの棚をあらためると、ほとんどが中国製の中、奥の方に一つだけ原産国が韓国のものがあった。包みを開けると中身は塩コショウではなく白い粉末がつまったジップロックだった。小麦粉や片栗粉ではなさそうだった。光に透かすとわずかにピンク色に染まっていた。

俺はバックヤードに戻り、粉末が詰まったジップロックを机の上に置く。テルコは一層青ざめる。俺はテルコに尋ねる。

「何これ?」
「まあ…なんつーか…シャブみたいなもんというか…シャブっすね」
「店長が本社から仕入れてるの?」
「そこまでは知らないです」
「お前も店長もマナモもカエリもノルコもラオリもマアサもやってたの?」
「いや、マアサだけはやってないです。アイツは本気で店長と付き合ってると思ってたんで」
「もしかしてモナミもか?」
「まあ、はい」
俺は深くため息をつく。何のために警察に殴られたんだ。

「だって、さっきも言ったけどしょうがないっすよ。あたしもマナモもカエリもノルコもラオリも大学行きながらバイトして学費稼ぐなんて無理っしょ。与兵衛さん、奨学金っていくらくれるか知ってます?ほんの少しだけなんですよ?それをこの先何十年かけて返さなきゃなんないなんておかしいでしょ。大学行って、バカにされないように服とかカバンとか買って、飲み会とか遊びに行って、それを全部バイトで稼ぐなんて、シャブでもやってなきゃ無理ですよ。ていうかそのシャブだってタダじゃないんですよ?」

そこまでいってテルコは急に口をつぐんだ。
「なるほどね」
俺は店長の財布から”ヘルス ビーチク女学院”のカードを抜き出し、彼女の前に置く。
テルコの目の温度は氷点下に落ちる。

「それは私じゃありません」
テルコは、誰が、とは言わなかった。
「別に差別とかじゃないですけど。私はキャバです。みんな得意なことが違いますから」
テルコの吐き捨てる言葉で部屋の温度が下がる。
「てかモナミもやってましたからね。チャットガール。パソコンの前で下着とか見せるやつ。出す子は全部出しますから」
モナミは夜10時に帰ってくると鍵をかけて朝まで絶対開けなかった。
「与兵衛さん一緒に住んでたのに知らなかったんですか?」
テルコの視線で窓が結露する。
「厳密には一緒に住んでいたわけではないな」
俺が答えるとテルコは心底あきれた様子でため息をつく。
「与兵衛さんにそういうこと聞くのが間違いでした」

テルコは足を組み、体をゆすり始める。
「警察行くんですか?私達を突き出して、それでお手柄ですか?いいですね。ヒーロー気分で」
「警察ね…あんまり行きたくないな」
「なんですかそれ、まあ、好きにしてください。私たちは私たちなりにやれること必死でやってるのに、与兵衛さんのしみったれた正義感のおかげで世間から一発退場ですから」
「いや、お前らじゃないんだよな。この場合。ていうか店長でもないと思う。モラル的にはヤバイけど。まあ、でもそれは調べないとわからないし…」

「何言ってるかわかんない。私先帰りますね」
モナミの目はもはや俺を見ていなかった。彼女は縛られていびきを掻いている裸の店長を一瞥し、重そうなハンドバッグを持って出口に向かう。

俺は一瞬だけ逡巡したが、やっぱりテルコを引き止めた。

「あ!ちょっと待って!あのさ…よかったらでいいんだけど…今日泊めてくんない?」

【続く】

毎度どうも