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カトリック徳田教会 教会学校

 徳田教会は、それほど大きな教会ではないので、毎週来る子どもの数も10人来れば「今日は、沢山来たな」という感じですが、ご多分に漏れず、我が教会学校も多種多様なお子様方が綺羅星の如く並んでおります。ミサ中に「聖書と典礼」で折った折り紙作品を毎回、誇らしげに見せてくれる子(スゴイ!)。草むしりを頼んだら、お花を摘んできてくれる子(キレイ!)。突然、柱を登り出す子(きっとザアカイの回心の話が心に響いたのでしょう。神に感謝。)、etc、etc。

神さまから来る愛の恵みは無限ですが、体は一つしかないので色々と大変ではありますが、子どもたちの成長を間近で見られるのは、大きな喜びです。例えば、子どもに侍者の奉仕をお願いすれば、小さい内は「イヤ!」「ヤダ!」と言って逃げて行くだけですが、成長するにつれて、「頭が痛い」「お腹が痛い」「そういう気分じゃない」「侍者服の色が気に食わない(紺色ならやってた)」等と言い出しまして、高学年ともなると、
「インフルエンザになりかけかも」等と言ってきます。
「なりかけ…。何か症状が出てるなら、病院に行きましょう」
「いや、なりかけだから、まだ症状とかそういうレベルではない。」
「なんだ。つまり…、ギリギリなってないという認識でよろしい?」
「うん、いや、まあ、ほぼなってるけどね。とにかくこれで侍者とかやったら、多分あぶない。」
「そうですか。じゃあ、遊びも無理そうですね。」
「いや、ミサ中、侍者やらないで安静にしてれば、多分治ると思う。」
「…。」
 そして、数時間後。そこには元気にバトミントンでスマッシュを決める少女の姿が―。



驚きました。カトリック教徒の子どもがたった数年で、ここまで高度な禅問答ができるようになるとは。このまま、順調に成長していけば、そう遠くない将来、国会中継で大臣や首相として、のらりくらり答弁する彼女の勇姿が見られることでしょう。
 小さな事から大きな事まで、こちらの予想通りに行くことは、ほとんどありませんが、とにかくこちらは、神さまから頂いた愛と慈しみだけを持って子どもたちと接することに専念して、後は神さまにお任せしています。
歌や活動内容は、他教会とそう変わりないと思いますが、徳田教会学校では、創立者のフロジャク神父が生きた教材となっています(フロジャク神父様は、すでに天に召されましたが、主の御元で永遠の命を得たと思います)。見捨てられた結核患者やその子どもたちの為にフロジャク神父様が始めた小さな活動(患者一人一人を、たった一人でお見舞いして回ることから始められました)は、天国とからし種の例え(マタイ13:31-32)の通り、やがて大きな慈善事業へと発展しました。

徳田教会は、そんなフロジャク神父様が幼少の頃より崇敬していた聖ヴィンセンシオ・ア・パウロを守護聖人として捧げられ、建立されました。聖ヴィンセンシオもまた、生涯、貧しい人々の友であった聖人です。フロジャク神父も聖ヴィンセンシオも、その心は、主イエス・キリストと神の愛によって一直線に結ばれています。神がイエスをお遣わしにならなければ、聖ヴィンセンシオはおらず、聖ヴィンセンシオがいなければフロジャク神父はおらず、フロジャク神父がいなければ、私たちも誰一人として徳田教会学校に集うことはなかったでしょう。神の愛の御業に賛美と感謝をお捧げいたします。アーメン。アレルヤ。

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