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聖ルドビコ茨木

みなさん、こんにちは。Salt運営委員の小林由加です。日本二十六聖人殉教者の三少年殉教者の一人、ルドビコ茨木(12歳)の紹介をします。

ルドビコ茨木は1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架につけられて亡くなった12歳の少年です。当時の権力者は豊臣秀吉、キリスト教の勢力が増すことを恐れて、キリスト教を弾圧しました。

1597年1月3日に京都で左の耳たぶを切られ、京都の町を引き回されて、翌日は長崎で処刑するために大崎へと出発します。ルドビコはどんな思いだったのでしょうか。イエズス会士ホイベルス神父作の野外劇「日本十六聖人」の一節を口語になおして紹介します。

寺沢半三郎(長崎奉行の代理):「この子は何というのか」

役人:「ルドビコ、11才です」

半三郎「どうしてまた捕らえられたのか」

アントニオ(13才):「私とルドビコは、パードレ・バウチスタのミサ答え
をしていました」

半三郎:「今からでもおそくない。考え直してキリシタンを捨てなさい。
そうすれば、大事な生命が助かる」

半三郎:「お前の生命は、私の考え一つで何とでもなるのだ、
よく私のいうことを聴きなさい」

ルドビコ「私のことは、パードレ様におまかせしています。
パードレ様におっしゃってください」

ペドロ・パウチスタ(パードレ):「ルドビコよ、信仰に背かないことであ
れば、お役人さんのおっしゃることを聴いて、その通りにするのです」

半三郎:「さ、その信仰がいけない。キリシタンの教えを変えるのだ。キリシタンを捨てれば、生命が助かるばかりでなく、武士に取り立て幸福にしてあげるのだが」

ルドビコ:「お役人さまこそキリシタンにお成りなさっては、そして一緒に
パライソ(天国)に参りましょう。それが一番の幸福でございます」

ルドビコは、何よりも大切なものが神様への信仰であると確信していたのだと思います。ルドビコは別の場面でも、「つかの間の命と永遠の命を交換するのは意味のないことです」と答えています。ルドビコだけでなく、キリシタンが喜んでいる姿を見た街道の人々や刑場に集まった人々に、驚きと尊敬が生まれたそうです。

日本の殉教者の話はすぐに世界中に広がり、リマの聖フランシスコ修道院の廊下の陶板に描かれ、1627年には教皇ウルバヌス八世によって列福されました。これからも聖人の姿に学びたいと思います。

ルドビコ茨木の歌「ルドビコさま」作詞:永井隆 作曲:石川和子

カトリック上福岡教会はルドビコ茨木を保護の聖人としています。

聖ルドビコ茨木


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