たまには泣いてもいい学校日記👨🦽
ちょっと長い学校日記。
悲しみを成仏させたくて、
1度だけとチャレンジした noteでしたが、
久しぶりに書きました。
電動車椅子を自分の手足のように扱う息子のことです。
✩.*˚息子の名前は仮名で、そると。にしています。
3学期がスタート
3学期が始まった1月の正月明けのこと。
車椅子の息子は、例の如く、今学期こそは、と、
新しくできた「ポスト」とゆう係をやりたいと、自ら手を挙げました。
「ポスト」とは、
職員室前の提出置き場から物を持ってきて配る係だそうで。
そういえば、ファミレスで料理を運びたいとか、
何か荷物運びたいとか、車椅子を使って何かしたい気持ちが高まっていた息子です。
すると、交流の担任から、
「うーん、そるとくんは出来ないでしょ」
「座位保持椅子(電動機能なしで座位を安定させるもの)を押してくれる先生がいるかどうかもわからないし、1人では運べないでしょう?」
学校で介助をしてくれる支援サポーターの先生からも、座位保持椅子を押しながら、私も荷物を運ぶことが出来ないのであきらめてもらいました。と、
連絡ノートに…。
その後、ポスト係は、同じクラスの仲良い友達(現在体調不良でお休み中)に決まりそうだったので、
それならなおさらその子と一緒に!
一緒ならできるから、手伝いたいと思った息子でしたが、願い叶わず…
先生は、
最後に残った余ってる係を指さして、
「じゃ…そるとくんは、コレしか残ってないから、、これね、前回と一緒とゆうことで」と
息子いわく、
最近はほとんどやることの無いとゆう謎の多い
道徳係へ。
さすがの息子も、とうとう心がポッキリ折れてしまい、その場で涙が出てしまい、
サポーターの先生から、
「そるとくん、どうしたの?」の言葉に、
「大丈夫です、目が痛いだけです。」
「すいません、目を拭いてください」
って、泣くのを我慢したんだ、と
いつものように放課後、迎えの車の中で、
今日の出来事を面白く加工して淡々と話す息子に、
お母さんは…涙がポロポロでてきてしまいました。
やりたい係や委員に立候補しても、
ことごとくなれないのは、
残念ながら、中学一年の1学期からずっと。
以前も、「できない」と言った先生でした。
息子には、積極的にやりたい係があるのに、
「できないから」の一言で終わってしまう。
こんなに、これほどまでに、
ポスト係を熱望してる中二は、
先生、なかなか居ないと思いますが…❗️
電動車椅子に乗せかえてくれたらできるのに。
そばに友達がいたらできるのに。
「できる」のアップデートが、2年めになる今もできない。
このままでは、
「できない」ことをただただ、再確認するために、
地元の中学に入ったみたいだ。
悲しい。
モヤモヤしながら、
英語のワークを息子と一緒に復習してると、
I can not help you because I am busy.
私は忙しいので手伝うことができません。
I will help you when you are busy.
あなたが忙しい時に私は手伝います。
思わず、
なにこれ、フラグ立ってる…😳
と息子と笑ってしまった。
良かった。まだ、笑いとばせる力が残ってた、
よかったよ、
いや、良かったの?か?🙄
悲しい気持ちや悔しい気持ちが成仏しないまま、
諦めることに慣れていく環境。
現実と理想。
その英文が、本当は2択あるんだよ、と教えてくれてるみたいだった。
どうして息子のいる学校では、
できないなら手伝うからね、と先生自ら
発信してもらえないんだろう。
手伝うよ、と言ってくれる生徒はきっと多いと思う。息子のことを小学校の時から知ってる生徒達だから。
手伝ったら悪いのかなと、チラチラこちらを意識して遠慮してる生徒も中にはいて、
基本的にみんな親切な子が多いことを私も息子も知ってる。
でも、先生がそこを遮断してしまったら、もう、息子には成す術がない。
それ以外にも、
普段から感情的になる先生からも指導と称して、
感情的に叱られる、廊下に締め出される、
代筆頼んだだけで、王様じゃないんだぞ、
と。
もう、最近は、いろいろあったこともあって、
私も心にとうとう大きなヒビが入り、
お世話になってる市教委に相談、そして教頭にも伝えることに。
教頭は、感情的になる先生の件は、
きちんと指導しますとの事で、解決…
係の件についても、
そるとくんは、人の役に立ちたいんやな。
できることを探して、
人を助けたいってことなんやな。と。
本人がやりたいなら、
それくらいはさせてあげたらいいと僕は思うけどね、と、理解を示してくれました。
教頭に話したあとの帰り道、
廊下の掲示板にふと目をやると
2020
△▲中学 スローガン❗️
主体(自分の意思、判断で責任を持って行動)と
貢献(力を尽くして社会や人の役に立つ)❗
あの、、ここにいるんです。
主体と貢献を、
自ら頑張ってやろうとしていた生徒が。
でもね、出来ないって一言で心が壊れかけてるんです。
そこに主体と貢献❗️と言われても、
環境がそうさせてくれないんです。
誰かが、障がいは、その人の中にあるんじゃなくて、周りの環境のことを言うんだ、って言ってたな。
だから、お母さんだけは、認めてあげます。
やりたい係があって、手を挙げたあなたは、
大丈夫、間違ってない。
悔しかったよね。
どう反論していいか分からなかったよね。
世の中ってこんなに冷たいんだな、って思ったかもしれない。
でも、キミは間違ってないよ。
間違ってないからね。
体育で歩く練習を
そして、、
歩行器問題。
昨年股関節のオペして退院後、オペ後に立位や歩行は重要なので、なるべく学校の空いた時間で歩行器に乗るようセラピストからの指示がでていて、その書類も渡していたけど、どうしても乗せられない時間が続いていました。
歩行器は以前から持っているけど、中学では1年の時にまだ数回しか乗れていない現状でした。
体育の時間は、見学がどうしても多くなる。
それならば、歩行器を!とお願いすると、
息子を歩行器に乗せられる先生がいない。女性の教員だから、1人では無理だから。
無理、できない。
またしても、この壁がたちはだかるのか。
そして、それ以上何も言えなくなる、
ゲームでゆうところのラスボスがいる城みたいに大きくて頑丈そうな壁がたちはだかる。
入院中お世話になった作業療法士に相談。
「学校には、大人の先生がいますよね?1人が無理なら乗せる時に、誰か手伝う先生は居ないんですか?
地元のセラピストにも協力してもらって、
歩行器に乗せるところの動画を撮り、
こうすれば簡単に乗せられるとゆうのを、ひとまず、先生達に見てもらったらどうでしょうか」
いろんな知恵を召喚していく。
それでも、魔法のじゅもん、言葉だけでは、
状況は変わらない。
そこで、
もうこうなったら、学校に直接出向く❗️
息子についてくれている体育の先生を呼び出し、支援クラスで、歩行器に乗るのを実際に手伝ってもらうことにしました。
すると、
「おお!めっちゃ歩く!
やるやん!そるとくん!」
そして、その先生は、しおんが小学校5.6年の時にとてもお世話になった支援担任の教え子とゆうこともわかり、
「そう!そうなんです、先生
乗る時と降りる時だけ手伝ってもらえたら、
あとは、息子はは歩くんです❗」
その先生とめっちゃ盛り上がり、
現支援担任も来て、
「よし、じゃあ、体育の時間に歩行器に乗ろう!
僕が不在の時は、空いてる屈強な男の先生を呼び出して、歩行器に乗せてもらおうか」
と、トントン拍子に決まり…
こんなにあっとゆう間に、状況がみるみる変わる
連絡ノートにいくら書いても、
帰りにお願いしても、
実際行って話して、見せてようやく理解してもらえる。
本当に骨が折れる作業だけど、
こうして、人は理解を深めていくのか。
そこでようやく、あきらめないでよかったなとゆう、決して無駄じゃない時間になる。
係については、
教頭から、お手伝いは大歓迎やから、どんどん手伝ったらいい、車椅子に乗ってる時に、職員室に行ったらいい。とのこと、教頭のお墨付きをもらえました。
今までの、溢れてた思いを伝えました。
基本、悪い先生はいないこと、
先生方だって生徒たちを理解しようとしていること、
でも、上手くソリがあわなかったり、
相性が合わない先生もいる、とのことで、
理解してくれました。
市教委の先生も、
先生達が、障がいについて知らないことや分からないことが多いこと、それで、誤解が生まれてしまうこと、それを分かってもらうためには、骨は折れるけど、先生に理解を求めていくしかなくて。そのためのお手伝いはします。と。
果てしないようにも思えるけど、
次出会う障がいのある生徒のためにも、
街で出会う障がい者と関わることがある時に、
今回の件が
いつか誰かの役に立つ日がくるのだろうか。
そうなるといいな。
願いを込めて。
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