見出し画像

Genesis07「それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼らのうしろの戸を閉ざされた」


私たちは2020年、未知のコロナウィルスによって社会活動を失った。いのちも、日常も。
私はあの年を「失われた一年」(Lost 2020)だと思っている。

あの年の1月の終わりに、私は父を亡くした。

半年近く、悪性腫瘍で闘病した末、本人が死を覚悟し、金曜日の朝に連絡を受けた私たちは父が死ぬまでの四日間を病室で過ごした。父が召されたのは、久しぶりに地元に雪の降った月曜日の朝だった。外が真っ白く輝く中、母と過ごした病室で眠るように召されたことに慰めを覚えたのを思い出す。
その少し前から、父の実父である祖父が転倒をきっかけに弱り始め、一人暮らしもままならない状況にあることを私たち家族は知っていた。父のかたわらで、私は祖父に宛てたハガキを書いて出した。父の火葬の朝も、葬儀の日も、撮りためた写真に日常の一言をそえて、お元気でと。

父方の祖父は、武家の生まれであることを誇りに思っている人だった。殿様からもらった仙台の地を最後までひとりで守っていた。毎週末訪ねていた家族が、春に部屋で倒れているのを発見してからは妹の家に一緒に帰り、主の憐れみを受け、暖かい部屋と家族たちのもと天に召された。
祖父の最期が暖かいものであったことは幸いであったが、その頃は新型コロナウィルスに日本中が混乱していた時期だった。私たちは、祖父を見舞うこともできず、火葬に参列することもできずに見送った。あの頃、日本は深い喪失感を抱えていたように思う。


奇しくもノアも父を先に送り、次に祖父を亡くしている。
神が世界を滅ぼすとつげた大洪水は、ノアが六百歳の時に起こる。
それは、ノアの祖父が亡くなった年だ。

ノアの祖先たちは皆いなくなり、そうして、「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。大雨は四十日四十夜、地に降り続いた」


私も父と祖父を天に送った後、コロナ禍で一年近く、まるで箱舟の中のような日々を送った。
最初は、大雨が降るようにパニックが起き、いろいろなものが買いだめされ、しばらくすると「Stay Home」という名のもと、家から出られない日々が続いた。


現代の私たちは、この「ノアの箱舟」をよく理解できるような気がする。

あの頃は、なぜこんなことが起こるのかわからなかった。突然、教会で倒れた父が最終ステージの悪性腫瘍で床についていることを、私はしばらく知らされなかった。
知ってからは日々、連絡が来るかもしれないと携帯電話が手放せず、それはまるで人の死を待っているかのようで、私の肉体を少しずつ疲弊させていった。

だが、これらの出来事によって大きく変わったことがひとつある。
それは、「悲しみ」を知ったことだ。

私は幼い頃から、「聖書の神を信じる者は、天国にいける」という天国での再会の約束を聞いて育った。だから、死ぬことは悲しくない、と。
だが、立て続けに家族を亡くし、ニュースでは連日のように世界中で何万人といういのちが失われていくのを見て、私は思い知った。

人が死ぬのはとても悲しい――。


悲しくて、悲しくて、悲しくて、悲しくて、悲しい。
私は生まれて初めて、死の悲しみを知ったのだ。
そして、「箱舟」の価値を知ったのだ。

箱舟に、いのちあるものたちが入ったあと、主がその扉を閉ざされたとある。
「それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた」
自分で閉めていたら、洪水の中で不安になったかもしれない。
または、いつまでも閉められなかったかもしれない。

だが、ノアはすべてを主にゆだねた。自分のいのちも、未来も、時も。
きっと箱舟を造った百年にもおよぶ日々が、ノアを強くしたのだと思う。
私も今、〝賢さという誘惑〟や〝自分のやり方〟を捨て、新しい自分になりたいと願う。
私たちは失われたいのちのために泣き、そして主の救いを求めるのだ。


この7章は、希望の章。
神は新しい世界にたったひとつだけ、死の悲しみの中で生きる道を与えた。
私たちは、この大水の中で生き延びねばならない。
主が箱舟の扉を開ける日まで。


悲しみながら。
そして、祈りながら――。




©新改訳聖書2017


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?