見ないようにしてきた部分がある。
例えば、前の彼を題材に挙げると
「好き」と思う時は、都合のいい部分だけを見て
「まあ別にいいや」と思う時は、都合の悪い部分だけを見ている。
両方彼の一部であるはずなのに、私の「都合のいい悪い」で視点をコロコロと変えていた。
それって、自分自身や、その他の人や、この世界についても、まったく同じことをしていた。
「電車に乗るのが怖い」「外が怖い」みたいな、自分にとって都合が悪い部分を見ずに、なんとなく見ないふりして良い顔をして、陰に蓋をしていた。
陰を感じないと陽も感じられないのにね。
心のひだを折り重ねて、生きてきた。
「感じないように」「見ないように」としてきた背景には、「この社会ではこうあるべき」「これは都合が悪い」みたいなものがある。
そのひだを広げて、溢れ出した感情を感じて、フラットでニュートラルな視点ですべてを見ること。
そして、望みを能動的に選択すること。
これが、愛じゃないかなとおもった。