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親を見ていると、その中にわたしがいる。 与えられた価値観。 今までの人生で、外の世界から押し付けられた価値観。 それらが親の中に埋まっていて、 それにいちいち「イラっと」してしまって、 ともすれば声を荒げてしまいそうになる。 でも、それは、わたしの中にある価値観と同じ。 同じだから、反応してしまうの。 何の共鳴もしないものには、そもそも「イラっと」なんてしない。 親にわたしと同じものが埋まっているから、 「イラっと」しちゃうの。 すべて、親のせいにしてた
みんなが「美味しい」と言うご馳走があっても、わたしがそれを「美味しい」と感じないと意味がないように。 人生はわたしの感覚でできているから、感じられないとそれは"存在しない"のと同じになる。 だから、人生、感じたもん勝ち。 心身の調子を崩してしんどい時も 小説を書いて没頭している時も 音楽に感じ入っている時も 味を感じなくなって泣いていた時も 何も楽しいと感じられずに皮膚をつねっていた時も 人との別離に喘ぐ時も それはすべて私の感覚で。 落ち込みがあるほど、