ジャンル移動に伴う罪悪感について〜私はヒプノシスマイク のことを忘れるだろう

副題部分についてだが、このコンテンツのファンを攻撃する意図も全く持ってない。今後も作品名の部分に様々なコンテンツ名が代入されていくだろうと言うことへのいわば自戒であるし、尚ここに書く事は全て主観の話です。

前提から話すと、私は2年ほどいたジャンルから唐突に新ジャンルへと移行してしまった。端的に言えば、H歴でラップバトルをする男たちから、ツイステッドしたワンダーランドで大なり小なりの悪事を働く男子高校生たちに興味関心が移ってしまったのだ。

旬ジャンルから旬ジャンルへの移動だ、世間というかTwitterでこう言った女たちがなんと言われるかは、20年近いオタク人生の中で嫌というほどわかっている。愚痴垢風に言うと175だ。イナゴイナゴ、佃煮にするやつ。女性向けジャンルのファンダム文化に触れたことがある人にとっては、これがどれほどの嘲笑と侮蔑を込めた言葉であるかわかっていただけると思う。

混沌とした思春期を経て、近年は作品と自分自身の対話を、作品を愛すると言う事の軸に据えてオタクをやっているのだが、それでもこの175呼ばわりはかなり堪える。加えて、今まで好きだったコンテンツに対して急に感情が無になってしまったことで自分自身にドン引きだし、かけてきた時間、お金その他もろもろのことを考えすぎてものすごい罪悪感に襲われる。

人生のうち何度もジャンルとの出会いと別れを経験してきたのだが、年々感じる罪悪感が大きくなってきている気がする。それはここ数年、女性向けジャンルの中にいると、推しにいくらお金をかけたか、どれだけイベントに参加したか、どれだけコンテンツに狂っているか、これらのことを突き詰める耐久レースに放り込まれた気がすることに起因していると思う。その耐久レースにゴールはない。自分から降りるタイミングを見つけるしかないのだ。自分から降りておいて、罪悪感なんて感じてしまうんだろう。コンテンツに対して未練があるから?いや違う。

それはコンテンツに対してと言うより、コンテンツを取り巻く緩やかな女オタク同士の連帯、そこから抜けることへの罪悪感だ。

ちなみに、私はSNSで見ず知らずのジャンル友達を作れた事は一度もない。でも、どうしようもない後ろめたさがあるのだ。わざわざTwitterで愚痴垢っぽいものを探し出して、ジャンル移動者に対するルサンチマンを自ら浴びに行ってしまうほどには。これは自傷行為であると同時に、愚痴垢の向こう側にいる人物に対するカウンター?でもある。私はしっかりお前たちを見ているぞ、その上でジャンルを出ていくぞ、っていうね。まあ意味はそんなにないんだけど、愚痴垢と違って私は発信しないし。

今後も私は色々なコンテンツに出会うだろう。その度に、コンテンツを取り巻く大きな集合意識みたいなのにまた飲み込まれていく、その繰り返しだ。






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